アカデミー教員インタビュー

樹木は知れば知るほどおもしろい!

横井 秀一(林業専攻)

 

教員インタビュー横井1

おととし定年退職された横井先生は、広葉樹のスペシャリスト!今も特任教授として、アカデミーで教えています。これと決めたらまっすぐその道を進んできた横井先生は、どうやって人生の選択をしてきたのでしょうか?

 

地学と森林の二択

 

――どんな幼少期、少年時代でしたか?

横井:子どもの頃は、名古屋市中川区に住んでいて、そこは住宅街で近くに大きな工場があるような場所だったので、まわりに森林は全然なかった。子ども頃の遊び場はもっぱら道端。道路でひろった石で絵を描いたり、落ちているものを拾って集めたり。虫がちょっとだけ好きで、近所の空き地でイトトンボとか、チョウを採っていたかな。幼少期は外で遊ぶのは好きだったけど、キャンプや登山に行った経験はほとんどなくて、特に今の仕事に結びつくようなことはそんなになかったと思う。中学生のときは愛知県江南市に住んでいたんだけど、中学校の国語の先生がすごくチョウが好きでね。それに感化されて、中学生になってちゃんとチョウを採りはじめた。名古屋の街中よりは、ちょっと田舎だったので、同じように昆虫採集が好きな友だちとよく遊んでいたかな。

 

――高校になると、将来どうしようかなって考えたと思うんですけど、当時の将来の夢はなんでしたか?

横井:夢なんてなかったよ。将来やりたい仕事に結びつくような経験をしていないんだよね。だから、こういう仕事がしたいとか、こういう人になりたいっていう目標は全然イメージできなかったし、イメージしようとすらしてなかった。でも、だからこそ大学は行くつもりだった。大学を選ぶときは、理科が好きだったので、まず理系にしようと決めた。理科の中でも地学がいちばん好きで、地球物理とか地震とか、地べたの方の地学がなんとなくおもしろいなって思ってね。あと、地面に生えている樹木や森林もなんとなくおもしろいなと思っていたので、その先の目標は何にもないんだけど、早い段階で専攻は地学と森林のどっちかにしようって決めた。それで、地学・地球物理・地震が学べる大学と、樹木・森林を学べる大学をくらべて、当時はインターネットとかあるわけじゃないので、関係している本を読んで、森林の方が自分にはビビッとくるかなと思って決めたかな。

 

教員インタビュー横井2

 

横井:高校の理系のコースは、選択授業で物理・化学・生物・地学の4科目があってね。僕は地学を希望したんだけど、地学の希望者がふたりしかいなくて、授業をやってくれなかった。でも、先生に頼み込んで、希望者ふたりで週に一回くらいかな、朝に補講をやってもらったことはよく覚えてる。当時は環境問題がさかんになりはじめた頃で、最初は農学部の林学科を考えていたんだけど、なんとなく林学から自然環境の方にシフトしたかな。関連している学科が国立大だと千葉大と農工大にしかなくて、農工大は自然保護学科で、千葉大が環境緑地学科。農工大は単科大学で、千葉大は総合大学なので、千葉大の方がおもしろいかなって。当時は興味のあることからなんとなく二択で決めていって、最終的に千葉大の園芸学部環境緑地学科に進学しました。

 

 

山を歩き、樹木をおぼえる

 

――大学ではどんなことを学ばれていたんですか?

横井:環境緑地学科は、庭園とかの空間を造る造園学科のもうちょっと自然環境寄りのことをやる学科だった。で、その中に緑地保全学っていう研究室があって、そこに森林が専門の先生がいて、都市の樹木も含めて生物としての樹木を扱っていた。大学に入ったらすぐにその研究室のことを知って、じゃあここしようって決めたんだよね。パッと決めたらそこにまっすぐいっちゃう性格なのかな。それで、研究室に配属されるのは3年生になってからなんだけど、その研究室を志望している学生が、1年生のときから自主的に研究室の先輩について歩いて、植物や樹木をみっちり教えてもらうグループに参加したんだよ。それまでは、スギもヒノキもわからなかったんだけど、1年生が終わる頃にはけっこうな数の樹木を覚えて、3年生になってそのままその研究室に行きました。

――3年生や4年生のときは、後輩に教える立場になったんですか?

横井:そうそう。2年生になったら、1年生で山や植物が好きそうなやつを、じゃあ一緒に山行くかって誘ってね。千葉大があったところは街中だったから、奥多摩とか奥武蔵、秩父の東京近郊の日帰りで行ける山に、土日や授業がない日に行って、縦割りでずっと山を歩きながら、ひたすら名前を憶えていくかんじ。出てくる植物をリストアップしながら、わからないのは図鑑で調べていったかな。

 

教員インタビュー横井3

 

――研究はどんなことをされたんですか?

横井:卒論のテーマはカモシカだったんだよ。当時もカモシカは特別天然記念物で、植林したスギ・ヒノキの苗が食べられる被害がすこし問題になってきたところだったんだけど、ただカモシカの生態もよくわかってない時代だった。カモシカをテーマと言っても、カモシカそのものを研究したわけではなくて、200ヘクタールくらいの森林を対象にして、その中でカモシカがどういう行動をするのかを研究した。山の地図を持ってひたすら歩きまわって、ここに休み場がある、ここに溜め糞している、ここで何を食べているっていう、糞や食べ跡や足跡とかのフィールドサインを、地形図の上にマッピングしていった。それで、春夏秋の雪のない時期と、冬の積雪時でどう行動パターンが違うのか、どういう理由からその場所を利用しているのかを明らかにするような卒論だった。その後は大学院に進学したんだけど、カモシカの研究は後輩が同じフィールドを使ってちょっと違う切り口で引き継ぐことになった。だから、僕はもっと樹木樹木したことがやりたくて、大学院では、伐採した後の切り株から新しい芽が生えてきたり、伐らなくても自然に幹や枝が折れたところから芽が生えてきたりする、自己修復するようなメカニズムを広葉樹は持っているんだけど、それを研究した。だんだん今の仕事に近づいていったかな。

 

教員インタビュー横井4

スギ不成績造林地(雪でダメになったスギ造林地)。研究所時代に取得した学位の研究対象。

 

――森に関わる仕事として岐阜県職員を選ばれたきっかけはなんですか?

横井:大学院に行くときに、一応両親へのアリバイづくりとして、就職試験も受けたんだよ。僕のいた研究室は民間企業に就職する人がほとんどいなくて、公務員志望が多かったので、そのときは名古屋市の造園職を受けたんだよね。ただ、大学院に行きたかったので、受かるつもりもないし、行こうとも思ってないから、当然落ちて、晴れて希望通り大学院へ。大学院では樹木にだいぶ近づいたことをやっていたので、都市の中の造園よりもっと山に近いところで仕事をしたかった。それで、林業職で国家公務員と地方公務員を受けたけれど、できれば地元の愛知の近くに行きたかった。もともと僕が暮らしていた江南市は木曽川越えたら岐阜県だし、岐阜は愛知より山が多いし、当時岐阜には林業試験場がふたつあってね。林業試験場で森林の研究がしたかったから、ふたつあれば行ける確率は高まるかなって思って、それで岐阜に決めた。

――思惑どおり、林業試験場に配属されたんですね。

横井:面接のときに高山の寒冷地林業試験場に行きたいって言って、たまたま人事異動で代わる人がいたので、そこに12年いた。その後、高山の試験場が森林研究所に統合されることになって、勤務地は変わったけど、その後もずっと森林の研究をしていた。そこは恵まれていたと思う。学生のときは、スギやヒノキとか樹木を見分けることはできたけれど、林学科じゃないから林業のことを学ぶ機会はほとんどなくて、林業の視点で森を見た経験も全然なかったので、それは就職してから学んだね。

 

教員インタビュー横井5

ミズナラの後生枝。初めて学会誌に載った論文の研究対象。

 

 

面白いことを、とことんやってみる

 

――就職してからずっと研究を続けてきて、アカデミーの教員になったのが2010年。アカデミーの教員に着任された経緯はなんですか?

横井:仕方なくだよね。初めての人事異動がアカデミーだった。当時、アカデミーの教員が2名、12月くらいに辞めて、教員公募したけど準備期間が短くて決まらなかったんだよ。さすがに新年度を教員2名欠員のまま迎えるわけにはいかないから、ひとりは補充しなければいけない。となると県職員から持ってくるしかない。実はその前からアカデミーに来ないかっていうオファーはあったんだけど、僕は研究がやりたいから嫌ですって、ずっと言っていたんだよ。でも、とりあえず1年でいいから行けって言われて、蓋をあけたら11年いた。

 

――それまでの研究人生から急に教育現場に変わったわけですが、どんなふうに切り替えていったんですか?

横井:アカデミーでももうちょっと研究ができるって思っていたんだよね。研究の方に軸足を置いている教員もいるし、最初は研究所と兼任みたいなかたちにしてもらったし。でも、だんだん自分の受け持つ科目が増えてきて、結局、研究ができる時間はほとんどなくなってしまった。なので、今まで研究してため込んできた知識や情報を吐き出す方でいくかって決めたんだよ。

 

教員インタビュー横井7

アカデミー時代。実習で話しているところ。

 

横井:試験場にいたときも、研究してきたことを伝えるためにマニュアルとかガイドラインを作って、外に発信はしていたんだけど、結局それが活かされていない、伝わっていないのがすごく歯がゆかった。それを教員だと直接伝えることができるから、そういうところはいいよね。研究を10年続けるより、いま自分が持っている知識や情報をできるだけきちんと伝えられたから、教員になってよかったって思っているかな。ただ、多分僕の持っている引き出しの2割くらいしか、アカデミーで吐き出していない。時間が足りないし、こっちから押し売りであれもこれもやっても、学生もイヤだろうし。でも、抱えて持っていても仕方ないので、少しでも伝えられるように、これからは社会人教育の研修に力を入れたいと思っている。林業の現場で働いている人であれば、現場で使ってもらえる可能性が高い。仕事の中で困っていることに活かしてもらえるかもしれない。そのへんは退職してからやりやすくなったよね。公務員って立場だと、岐阜県じゃないところではすごく遠慮がちにしかできなかったけど、今は足かせがなくなったから。

 

教員インタビュー横井6

 

――将来、アカデミーに入学したい人に向けてメッセージをお願いします。

横井:思いっきりメリットを活用して学び倒してほしい。その中で自分のおもしろいと思うことがでてくるし、あるいは得意なこととか、将来につながることがなんとなく見えてくると思うので。おもしろいと思ったことをやれる範囲でどんどんやってみる。ただ、そっちばっかりやっていると、何をやっているのかわからなくなる危険性がこの学校にはあるので、そのために特に1年生のときは基本をしっかり学ぶ。その上で、2年生になったら卒業後に社会に出てからやることも見えてくると思うので、だんだんそれに近づけていけるように、専門性を深める学びでもいいし、人によっては幅広さが武器になることもあるし、学生自身で学びながら作っていってほしい。2年という短い時間を、ここの教育資源を十分に使い倒して学んでいってほしいなって思っているよ。

――おもしろいって思ったことをとことんやっていくってことですよね。

横井:そうだね。とことんできるかはわからないけど、でも口開けて待っているやりかたじゃなくて、自分から動いて学ぶことはできる。教員だけじゃなくて学生同士で一緒にやったっていいんだから。そこは恵まれていると思う。恵まれていることは活かさないと。入ってくる前にピンとはこないと思うんだけど、その気さえあればどれだけでも学べる環境はあると思うよ。

 

教員インタビュー横井8

 

――最後に、横井先生にとって、ここがおもしろいっていう樹木の魅力はなんですか?

横井:これは言語化できない。これだって言えないかな。ただ、おもしろい。今は林業という切り口で見ることが多いので、どうやって育てていけばいいのかとか、どう競争をコントロールしていけばいいのかを考えるけど、そもそも樹木はそれぞれ生きているし、自然の中でも競争がある。自然の中で起きているものを見るのが嫌いではなかったので、樹木や森林が気持ちいいとか美しいというよりは、その生き方や生態を見ること、それを応用して意図的に扱うのがおもしろい。だからね、結局おもしろいんだよね。

 

インタビュアー 佐藤聖人(森と木のクリエーター科 環境教育専攻)

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