塩田昌弘
専門分野 | 林産、森林作業道 |
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最終学歴 | 岐阜県立森林文化アカデミー(クリエーター課 研究室:森づくり塾) |
研究テーマ | 林業に関わる技術者を希望する学生へ、山仕事に関わる上で必要な、飯のタネになる知識と技術を伝える。 その上で、汗を厭わない若者が、安全に心豊かに働ける現場を、仕組みとして創出したい。 |
経歴
平成5年(1993)、筑波大学第2学群農林学類入学 生物環境造成学科に所属
3回生終了時に1年休学。ヒマラヤのアンナプルナ山脈を歩く道中、碧い空を見て「自然と共に生きていこう」と納得
平成10年(1998)、山梨県八ヶ岳南麓で、ログハウス建築会社に就職
一貫したハンドメイドを旨とするログビルダー職人集団の中で、丸太の皮むき・墨付け・製材・仕口加工・建て方~造作~メンテナンス等の日々を過ごす。
一本一本の木と向き合う濃密な時間を過ごす中、西岡常一氏の著書『木に学べ』に出会い、木を使うことの奥深さを知る。北米産のダグラスファーを加工する毎日だったが、たまたま身近な伐採現場で入手した赤松を加工しその柔軟さを感じこれ以降、身近な国産材を使ってみたい、との気持ちが高まる。しかし、国産材の原木(当時よく使っていたΦ34,L=12mのダグラスファーに代わる原木)が入手できなかったことをきっかけに国内林業に関心と疑問が高まり、岐阜県立森林文化アカデミーの扉をたたく。
平成15(2003)、岐阜県立森林文化アカデミークリエーター課に入学
研究室「森づくり塾」にて内田健一氏に師事。週3日は、山の中が教室という一風変わった研究室で、木が育つ仕組みを繰り返し繰り返し叩き込まれる。
卒業時には「自分が山に入り、汗をかいた分だけ元気な山を増やせる」そう思うようになっていた。
平成17年(2005)、素材生産を得意とする林業事業体に入り、皆伐、架線集材、風倒木の処理などに従事
命の危険と表裏一体の作業であることを痛感した頃、切捨て間伐に従事。素材が市場に流通しない切捨て間伐で、どのようにお金が回るのか不思議に感じていたところ、社団法人岐阜県森林公社に出会う。
平成19年(2007)、社団法人岐阜県森林公社(現:公益社団法人岐阜県森林公社)に入社
在籍期間16年間のうち計13年間、森林整備の保育事業、路網整備事業、木材生産事業の計画・設計・監督等に森林施業プランナーとして従事。この間、木材を商品として市場(川下)へ届けることの意義、一般の方では手の届かない“山”から木材を搬出することの重要さを実感。そして、健全な森林の維持管理と林業経営、そして森林技術者の幸せ、このバランスを追い求める事は、相反するものではないと感じるようになった。
令和5年(2023)、岐阜県立森林文化アカデミーにて教員となる
専門分野に対する思い
自然の中で働きたいとアカデミーのような学校の扉をたたく若者の行動を尊いと思っています。同時に、他産業と比べ、死傷年千人率が当たり前に高く、現場に従事する者の給与が当たり前のように低いことに憤りを感じています。
この現状に対し、私なりに肝に銘じているシンプルな解が、”1円でも多く、木材を通して利益を得る”です。
森林技術者が、山で木を伐って町に降ろし、必要とする他者に届け、現金を得る。この他者にモノを届ける経済活動の中に笑顔と感謝がありました。そして、この経済活動を継続させるためには、感謝を大きくしたり、笑顔を増やす必要があります。
いわゆるmassな林業の中にあって、感謝や笑顔に直接触れる場面は多くありませんが、その継続の中には、必ずあります。そして、私の専門分野で扱うモノは、木材。まだ、どのように伝えるか手探りですが、この私なりの解をアカデミーに集う若者に伝え、それぞれの個性をスパイスに調理してもらうことを楽しみたいと思っています。
森林林業の世界に旅立つ、汗を厭わない若者が、安全に心豊かに活躍するための階段を、一段でも、1cmでも、1mmでも高くするための教員生活を送りたい。ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い致します。