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2024年10月10日(木)

自然の中で学ぶ防火設計 – 八ヶ岳秘密基地合宿

安井先生の「木造建築の防火」講義は2年ごとにアカデミーと八ヶ岳の秘密基地で交互に行われていますが、今年で4度目の八ヶ岳秘密基地での合宿実習でした。

 

今回は、例年よりも少し早めに開催されたこともあり、まだ少し夏の暑さが残っている感じがありました。通風の良い秘密基地でも、「この夏は少しエアコンが欲しくなるね」と安井先生がおっしゃっていました。ここ数年の変化を振り返ると、やはり地球温暖化は無視できない問題になってきているようです。

安井先生と皆さんの自己紹介から授業が始まりました。富士山を一望できる開放的な木造建築の空間で、心静かに、そして自然とリラックスした気持ちに惹きつける授業を受けて、非常に貴重な体験でした。

 

秘密基地の構想とコンセプトは、安井先生の二つの視点に基づいています。一つは、設計技術を展示するモデルルームであると同時に、様々な実験の場として機能するという点です。四季折々の経年変化を通じて、様々な材料や技術の実際の効果を検証し、再考する場となっています。もう一つは、エネルギー自給自足の建築として、災害時にその真価を発揮し、名実ともに「秘密基地」として活用されることが期待されています。

2017年に完成し、七年経ったCLT屋外階段

大面積漆喰壁の断面模型

建築、設備や家具に関する内容については、過去のブログで詳しく説明していますので、ご覧ください。

 

座学の後は、期待していた杉板を燃やして焼杉を作る実習です。

安井先生は、燃焼の三要素から話を始め、縦横の煙突効果を比較しながら、木材の燃焼特性について説明されました。火育実習の現場では、人間の学習特性を踏まえ、直接的な感覚を通じて火の特徴を理解するという方法は、確かに非常に有効だと感じました。先生が推奨された視覚、嗅覚、聴覚、触覚に加えて、私は味覚も試し、杉の炭化後の味を確かめてみましたが、少し酸味がありました。

現場にいない皆さんも、可視化された温度情報を通じて、3枚の杉板の外部と内部の温度差を確認することができます。(左側の温度情報は正確ではありません。炎が吹き出す位置は800度を超えており、機器の測定範囲を超えていましたが、相対的な関係は参考にできます。右側の温度は正確で、燃焼停止1分後、木節部分や溝の位置で温度がより高いことを示しています。

焼杉のスモークの香りをまとい、八ヶ岳の温泉に行きました。その後、火育のもう一つのプログラム「火育×料理」が始まりました。今年は、安井先生方が準備された料理に加え、1年生、2年生、そして教員たちもそれぞれ一品ずつ料理を用意していました。

     

翌朝、朝食を終えた後、授業が始まる前に、各自が興味を持った秘密基地の設計の細部について野帳を描き、簡単な発表を行いました。

木造建築を学ぶ上で、防火対策は避けて通れない課題です。関東大震災など、歴史的な大規模火災は、木造建築の防火設計の重要性を再認識させます。安井先生の講義では、「燃え抜けない」設計が強調され、火が壁や天井を貫通せず、延焼を防ぐことが防火の基本であると学びました。特に、側面に窓を設けない設計は、火の広がりを抑えるために重要です。

安井先生の設計理念は「設計は日常が最高になるように。非日常が最悪にならないように。」というものです。この理念に基づき、日常の快適さと非常時の安全性を両立させる設計が追求されています。

座学の後は、CLTスウェーデントーチを作る実習が行われました。制作の過程で、再び燃焼の三要素、特に酸素の重要性を理解することができました。

アウトドアに詳しい方なら、スウェーデントーチをご存知かもしれません。スウェーデントーチは、立てた木の幹に縦に切れ込みを入れて燃やし、熱や光を得る手法です。1600年代にヨーロッパで広まり、現在では森林労働者やアウトドアレジャー(特に南ドイツ)で使用されています。表面が平らで、燠(おき)がよく出るため、調理にも適しています。焚き火に比べてコンパクトなため、小さな熱源をいくつも分散して利用できるのが特徴です。

今年、成功点火したスウェーデントーチは、特別な用途で使われました。それは、匠先生が釣り上げたアマゴを焼くためです。早朝、皆が起きる前の短時間で釣り上げられたもので、さすがです。

美しい自然の中で、充実した内容の二日間を過ごし、設計者として成長するための最高の学びの体験を得ることができました。八ヶ岳の秘密基地は、その設計自体が素晴らしく、細部までこだわりが感じられる空間でした。

安井先生、加來さん、山下さん! 本当にありがとうございました。

 

アカデミーへの帰路の途中、長野県茅野市にある神長官守矢資料館を訪れました。この資料館は、建築史学家の藤森照信氏による作品です。歴史と自然が調和したデザインで、藤森氏独自の土風建築スタイルが感じられる場所です。

守矢家は代々諏訪大社上社の神長官を務めてきた社家です。1989年に守矢家第78代当主守矢早苗と茅野市の依頼を受け、藤森照信氏が設計、1991年に竣工しました。

 

諏訪大社は大きく上社と下社に分かれ、諏訪湖を挟んで南側に上社(前宮と本宮)が、北側に下社(春宮と秋宮)があります。

 

4つの神社を総称して「諏訪大社」と呼びますが、不思議なところは祭りの性質は上社と下社で大きく異なります。上社は「狩猟文化的」である一方、下社は「農耕文化的」とされています。つまり、諏訪大社は、一つの神社に、まったく異なる2つの文化を同時に抱えているということです。

 

 

 

人類文明の発展において、狩猟民族が農耕民族に取って代わられる例は数多く見られます。日本でも、南から北へと、農耕民族を代表する弥生文化が、狩猟採集社会であった縄文文化を徐々に取って代わっていきました。この融合の過程で、特に信仰の問題が難しかったのです。しかし、諏訪大社の共存体制は、異なる2つの文化の信仰が調和して共生している非常に貴重な例です。

諏訪大社上社の神事・御頭祭(酉の祭)の神饌の実物復元

藤森氏の代表作の一つであり、彼の最初期の建築作品でもあるこの建物は、藤森氏が20年にわたって準備しながら、日本近代建築史を執筆していた時期に誕生しました。建築史家であり、同時に地元出身でもある藤森氏にとって、土風建築は単なる設計の思考結果だけではなく、地元の歴史的特徴を前提にした深い考察から生まれたものと言えるでしょう。

空に飛ぶ高過庵と完全に地中に入る低過庵

 

縄文時代には、土から生命が生まれるという意識が、世界中の人々に共通してありました。この感覚は、旧石器時代の土に対する生命信仰から続いてきたものです。アルタミラ洞窟の時代、約2万年前ぐらいから、人々はその感覚から少しずつ離れ始めましたが、それ以前の「土の時代」は非常に長く続いていました。生命が土から生まれ、また土に帰るという意識が表現されてきた歴史はとても長く、その感覚は現代の人々の中にも失われていないと思います。

ワラ入りモルタル壁(陶器の焼成窯の伝統的な材料として、防火性能も高いかな~)

空飛ぶ泥舟

近くに生育していた栗の木を利用し、その土地の自然素材を活かすことは、も藤森作品の特徴の一つです。

以上「木造建築の防火」2日間の授業報告です。

 

建築専攻一年 銭