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2017年03月13日(月)

教員リレーエッセー16:目指すべき社会の姿は何処に?

原島幹典(森林環境教育)

今からおよそ70年前、太平洋戦争の敗戦により国家として一度崩壊してしまった日本でしたが、その後いち早く復興を果たし、急激な経済成長を遂げ、世界に類を見ないほど平和で豊かな国になったことは誰もが知るところでしょう。この時代に日本人に生まれてきたことはたいへん有り難く、幸せなことではあるのですが、これから先はそうそう良いことばかりでなく、むしろ悩ましい問題に直面することが予見されています。

まず少子高齢化による労働人口の減少と高齢者福祉医療費の高騰です。介護保険制度、年金制度の限界も見え隠れするなか、若者世代はその負担感に大きな不安と不満を抱え初めています。医学の進歩、福祉の向上が社会負担を増すという皮肉な構図です。又、人口減少がもたらすさらなる大都市一極集中と、取り残された地方地域の衰退、上流域の環境荒廃です。これらの問題は、農山村地域社会の人々が、自分達の暮らしの持続性のために長年担ってきた水土保全や森林整備の意欲を失わせ、結果的に自然環境の荒廃をもたらす由々しき事態です。

そもそも、将来、私たちが目指すべき社会とはどのようなものなのでしょうか?例えば「持続可能な資源循環型社会」は今もよく使われているイメージです。しかし、私はいまだこのイメージを具現化した都市型社会モデルを見たためしがありません。都市はことごとく「持続不可能な非循環型社会」モデルに見えてしまいます。そのリアリティーを感じられたのは、各地の山里に点在したかつての「村」でした。エネルギー、食料はほぼ自給。生ごみや排泄物は田畑の肥料。

 

 

幼少期の教育を担っていたのはお寺の坊さんで、仏教による倫理教育が基軸でした。「悪事を働けば地獄に堕ちる。」「うそをつくと閻魔様に舌を抜かれる」「命をいただくのだから食べ物を残してはいけない」、戦後は欧米型の教育に変わりましたが、かつては宗教に根ざした倫理観が日本人の心を育ててきたと言っても過言ではないでしょう。村全体で育てられた若者は、炭焼き、農林業や職人として地域内で稼ぐことができたし、地域で一生暮らすことが幸せに感じられた時代がありました。

 

 

・・・結果的には持続可能ではなくなったのですが、つい最近まで数百年間継承されてきた村はそれまで持続可能であったことを証明する重要な社会モデルだと思うわけです。

 

しかしその村社会が今、過疎高齢化等により崩壊を始めています。医療機関が無くなり、小学校が無くなり、祭りができなくなり、商店が閉まり、最近は葬式も出せなくなった話を聞きます。地域の住民にはあきらめムードすら漂い始めています。本来とうに引退した人達がかろうじて村役を続けてきたのですが、さすがに限界を迎えつつあります。継承する世代は都市部に移住してしまったので、もう地域には帰らないでしょう。冠婚葬祭には帰りますが、地域の暮らしはありませんから、親が亡くなればさらに疎遠となるでしょう。こういう状況があちこちで同時に進行しています。

 

 

 

文明社会の進化の過程として、あるいは都市集中やグローバリズムの反作用として、これは避けられない現象かもしれません。インフラを維持するコストを考えると、維持するよりも撤退するほうが良いとする意見もあります。しかし、本気で持続可能な資源循環型社会をつくろうとしたとき、村社会にはとても役に立つ情報が眠っていると思うのです。しかもそれはデータ化されてなく、古老の記憶や体験談の中にしか残っていない伝わりにくい情報なのです。この情報をいかに受け継いでゆけるかが、今の時代を生きる私たちにとって、とても重要な役割に思えてなりません。私は農山村の存在意義の一つはそこにあると考えています。

 

 

どの地域でも村社会の存続は大変厳しい状況ですが、中には他所から若者が移住することで、地域に活力が戻る例も生まれています。

例えば地域おこし協力隊という制度があります。総務省が始めた地域活性化と移住促進を組み合わせた支援制度ですが、隊員応募する都市部の若者は年々増加傾向にあり、その存在はあらゆる点で時代を象徴しています。

 

隊員数 実施自治体数 うち都道府県数 うち市町村数
平成21年度 89 31 1 30
平成22年度 257 90 2 88
平成23年度 413 147 3 144
平成24年度 617 207 3 204
平成25年度 978 318 4 314
平成26年度 1,511 444 7 437
平成27年度 2,625 673 9 664

(総務省HPより引用)

隊員の中には、企業の第一線で活躍され、便利で豊かな生活を送っていたにも関わらずそれを投げ捨て、自然環境が豊かな田舎で暮らすことを選んだ人も多くいます。アカデミーでも、地域おこし協力隊員となり、過疎地域で頑張っている卒業生がいます。

 

 

 

 

彼らの事情や思いは様々ですが、共通しているのは価値観の転換をはかっていることでしょう、「お金や物では得られない心の安らぎや満足感を大切にする」「もっと自分らしく生きてゆきたい」そんな考えの若者が増えているようです。

 

本学では、過疎地域への移住や、農山村起業を支援するための専門カリキュラムはありませんが、各専攻科目の選択科目から選ぶことによって各分野に専門性を持った教員から学ぶことが可能です。まずは生業とする分野の知識、技術を身に付け、社会的に対価を得られるようになっていただくことが第一ですが、それだけではなく自分らしく生きてゆくための学びの機会も見いだせるはずです。

 

岐阜県は東西南北でそれぞれの特徴ある文化が根強く残っており、そこに住む人々の地域に対する誇りや愛情がたいへん強いように思います。

 

授業やインターンシップ、あるいは観光を通じて県内の過疎地域を見聞することもできますし、地域の人と学生が手を組んで、何らかのプロジェクトに挑戦することも可能です。そのような様々な学びを実践する中で、地域社会の課題や可能性が現実味をもって見えてくるのです。

 

森林環境教育や木育活動も各地で広がりを見せていますが、森や木との関わりを楽しんでもらいながら、その先に社会の現実問題を解りやすく伝えることと、どうすれば目指す社会に近づけるのか、そのヒントは何処にあるのか、そんなメッセージも投げかけることができるよう、自分なりのテーマをもって様々な場面で取り組んでゆきたいと考えています。