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2020年07月28日(火)

木工事例調査⑦「かしも明治座」 中津川市連携事業

森林文化アカデミーの木工専攻では毎年、全国有数の木工産地の一つである岐阜県中津川市の工房を巡る「木工事例調査」を実施しています。準備と運営はアカデミーと中津川市の連携協定に基づき、中津川市林業振興課にご協力いただきました。

レポート第7弾は、村人たちによって演じられる歌舞伎の芝居小屋、「かしも明治座」です。


東濃地方の地歌舞伎と芝居小屋「かしも明治座」。
現在、岐阜一県だけで現存する芝居小屋の数は10棟、岐阜を除くと全国合わせても17棟、全国と比べてその圧倒的な数に驚きました。なぜこれほどまで岐阜に芝居小屋が多いのか…?

一説によると…
江戸時代にお芝居が全国的に流行しましたが、農民がお芝居をやると一致団結することで力を持ってしまうので、ほとんどの地域では禁止されていました。ただ東濃地域は良質な木がたくさんある場所ということで、幕府にとって『特別な場所』だったため規制が緩かったのでは、さらにこれだけのものを建てられる材を自分たちで持っていた、それらが重なって芝居小屋が多いのではないかとう研究があるそうです。(あくまで一説)。

かしも明治座入口

かつて芝居小屋は歌舞伎やお芝居、人形浄瑠璃に加え、地域の皆が集まって情報交換をする公民館のような役割を担っていたそうです。
明治座も“自分たちが集まって楽しむ場所”として明治26年に建築が発議されました。

 

明治座の梁

天井の立派なモミの梁は、樹齢400年、太さ1m、長さが14.5mあります。126年前の明治27年、村の有志によって建てられた明治座ですが、機械もなかった当時、人力のみで山から木を運び出しました。このモミは100人で引っ張っても3cmずつしか進まなかったそうです。それでも3か月かけて木を運び出す間にもいろいろな作業を並行して行い、なんと建設の発議からわずか1年足らずで完成しました。当時の村の方達の団結力、エネルギー、『自分達の芝居小屋』・明治座への思いを感じます。

 

洲崎由彩さん

明治座の歴史、建物の構造や改修工事、地域の人々の思いについて丁寧に説明をして下さった洲崎由彩さん。広島出身の洲崎さんは、大学時代に初めて目にした加子母の地歌舞伎の魅力に取りつかれ、5年前から加子母で暮らし、地歌舞伎の魅力を発信し続けているそうです。

 

榑板の屋根

明治座の屋根は瓦の時代もありましたが、2015(平成27)年の『かしも明治座 平成の大改修』では、大屋根はクリ、下屋(げや・一番上の屋根ではなく玄関の上などちょこっと乗っている屋根)はサワラの榑葺き(くれぶき)石置き屋根に復元され、創建当時の姿が蘇りました。榑葺きは、丸太を割り、木目にそって6~10m程度の厚さに仕上げた榑板(この作業を『榑へぎ』と言います)を幾重にも重ねます。へぐと木の繊維が断ち切られずに割れるため、雨が染み込まずに流れるのです。

クリは心材(木の幹の内側の色の濃い部分)の耐久性が極めて高く、水湿にもよく耐えます。昔から建物の土台や鉄道の枕木に使われてきました。屋根に85000~90000枚という膨大な数の榑板が必要となった復元では、十分なクリ材が集まらなかったため、サワラも使われました。サワラは水質によく耐えるのに加え、割り易いと言われています。

昭和30年代まで、この地方の家々は榑葺き石置き屋根が当たり前で、特色ある集落景観が形成されていました。そうした石置き屋根の文化を後世に伝えていくことも大切なことであると考えたものの、伝統の技術はすっかり風化していました。そんな折、高山市の飛騨民俗村「飛騨の里」で伝統技術の実演として榑葺きづくりを披露されている名人・山口末造さんの指導を請うことになり、加子母から木の取り扱いに慣れた10数名が山口さんのもとへ出かけていきました。これを契機に、明治座の榑板づくりの効率が上がり、質も大きく向上して最大の難関だった榑板による屋根葺きは無事完了しました。ようやく受け継がれた技は、また次の世代に継承していかねばなりません。加子母では現在も榑板づくりが継続されています。

 

加藤周策さん
明治座館長の加藤周策さんは、「いくら水に強い木でも補修は必要、25年しないうちに必ず替えなくてはならない。加子母も超少子高齢化の村なので僕らが元気な内に未来の人が少しでも困らないように…」と榑板募金についてお話をして下さいました。こまめな補修、クリの育成、伝統技術の継承…こうした思いを形にするための活動です。榑板を購入し、住所と名前を書いて預かっていただくことで、20年後の改修時、自分の名前が明治座の屋根に上がるそうです!

 

客席と舞台

明治座では現在も毎年9月の第一日曜に地元の方々が歌舞伎の公演を行っています。(今年はコロナウイルスの流行により残念ながら中止…)年に一度の公演では、デザイナー、市役所職員、教職員、警察の駐在さん…男女関係なく子どもも大人も様々な人が出演し、お客さんとの一体感がある歌舞伎が楽しめます。

これまでの社会変化の中で、明治座も取り壊されていった多くの芝居小屋同様、何度も存続の危機にさらされてきたそうです。それでも、時に村の有志が私財を投じてまでも大切に守り受け継がれてきた明治座を「自分たちの代で潰すわけにはいかない」という加子母の人々の思いに触れ、歴史的建造物としてだけではない大切な価値を感じました。昔の人々の知恵と思いが随所に込められ、今もなお愛されながら使われている…なんでも簡単に手に入り、消費されていく社会では味わえない生活の喜びが明治座にはありました。これからものづくりを通して先人の知恵を学びながら、思いを形に変え、大切に使い続けていく喜びを伝えていけたらと思います。

文責:髙橋久美子(木工専攻 1年)