人間国宝・黒田辰秋の足跡を辿って
木工教員の久津輪です。
奈良県桜井市の西垣林業株式会社の機関誌『神籬(ひもろぎ)』第62号に、黒田辰秋についての文章を書かせていただきました。黒田辰秋(1904-1982)は初めて木工芸分野の人間国宝に認定された日本を代表する木漆工芸家で、「森愛なる人」という森や木を愛したさまざまな人物を紹介するコーナーに掲載されました。編集部のご厚意でPDF版を公開させてもらえることになりましたので、本文はこちらからご覧ください。
ここからは、執筆裏話です。
そもそもなぜ私に黒田辰秋の原稿依頼が来たかと言えば、2016年に『ゴッホの椅子』を出版したためです。かつてスペインで生木から作られていた素朴な民芸椅子に黒田が関心を持ち現地まで出かけて行ったことや、自身も苦労しながら映画監督・黒澤明の椅子、皇居・新宮殿の椅子を製作したことをまとめた本です。
とは言え、私自身は黒田に会ったことがなく黒田辰秋流の木工を学んだわけでもないので、今回原稿の依頼をいただいた時「もう書くことがないしどうしたものか」と思ったのが正直なところでした。
1つだけ執筆の手がかりになりそうだと思ったのが、今年3月に愛知県・豊田市民芸館の企画展で黒田がゴッホの椅子とともに写った写真パネルを見たことです。書籍『ゴッホの椅子』を書くにあたり、黒田とゴッホの椅子が一緒に写った写真を探したのですが、当時は見つけられなかったのです。自分にとって奇跡的な出会いとなったその写真、今回の原稿に掲載しています。
本文には、黒澤明の椅子に使うナラの巨木を製材した人の息子さんが登場します。紙面の都合で写真が載せられなかったのですが、こちらがその方、熊谷和彦さん。熊谷さんは岐阜県中津川市で大きな製材工場を営んだ家の出身であり、著名な画家・熊谷守一の親族でもあります。
黒澤の椅子に使うナラ材を天然乾燥させていた時の写真を見せると、「ああ、この家は今もありますよ」と言って案内してくれた時は感激でした。これが当時と今の写真です。
熊谷さんはさらに、黒田辰秋が椅子を製作していた当時のことを知る人たちに連絡を取り、一緒に会いに行ってくれました。こちらがその方たち、製材業を営む桂川眞壽雄さんと木工業の小松利彦さん。50年以上前の興味深いお話を伺うことができ、やっと原稿をまとめることができました。私は黒田の作品についての評論的な文章は書けないので、こうしてルポルタージュ的に書くしかないのです。生の証言が得られてよかった!
原稿執筆にあたってはこの2人にも協力してもらいました。辰秋の孫の黒田悟一さんと、2017年の京都の黒田辰秋展でキュレーターを務めた久野はるなさん。久野さんは京都展の図録用に撮影した黒澤の椅子写真を借用するのに尽力してくれ、悟一さんも豊田市民芸館の写真の借用や原稿の最終確認にご協力いただきました。2人とは京都展で「辰秋を彫る」というワークショップを企画して以来の仕事で、久々に3人で連携できて嬉しかったです。
「森愛なる人・黒田辰秋」、ぜひご覧ください。
久津輪 雅(木工・教授)