地域資源に触れる・伝える〜飛騨市神岡町(山村資源利用演習 第3回目)
<2024.11.6-7> 山村資源利用演習 第3回目、第4回目
エンジニア科2年・林産コースの「山村資源利用演習」、最終回は恒例の飛騨市神岡町での合宿です。
1日目、まずは神岡町の奥にある、山之村へ。アカデミー卒業生でわらび粉職人の前原融(まえはら・とおる)さんを訪ね、わらび粉づくり体験」を実習させていただきます。

左から、中村さん、前原さん(講師)、澤柳さん、栗林さん
実習の模様を、エンジニア科、中村奏太(なかむら・そうた)さんのレポートに沿って再現してみましょう。
◯エンジニア科2年・林産コース 中村奏太さん(そうた)
わらび粉の生産わらび餅は昔からの大好物でしたが、100%わらび粉のわらび餅は初めて食べたと思います。あのとろけるような弾力のある食感はとても美味しかったです。
畑へワラビの収穫に行きました。鍬で2メーターの正方形に切り込みを入れ、そこから片方を捲り上げていきます。すると地下茎がまとまって出てきます。綺麗にいくとカーペットのようになって気持ちいいです。
山菜のワラビをとってしまうと、地下茎の澱粉が奪われ、わらび餅ができなくなってしまいます。わらび粉は作れる季節も限られていて、仕事が1年に2ヶ月ほどしかないので、他に職人もいないそうです。

徐々に広げてきたワラビ畑。毎年火を入れる。収穫後、3年くらいでまた収穫できるようになるとのこと
収穫したワラビの地下茎を、よく洗い、泥を落とします。
次に、洗ったワラビを叩き潰します。
潰したものを水に溶かし、
澱粉の層を作る茶色い上澄の部分を取り除き、
白い粉の部分だけ取り出して、わらび粉の完成です。
<ここまで、エンジニア科 中村奏太さん>
中村さんのレポートにあるように、わらび粉づくりは1年のうち、ほんの1ヶ月ちょっと。前原さんはわらび粉をつくるために、農業の手伝いや除雪作業など、山之村での様々な仕事を組み合わせて暮らしています。

山村資源である栃の実の皮むきも体験
わらび粉職人として生きる前原さん。そんな前原さんは、もうすぐ社会人になる中村さんに強い印象を残したようです。実習終了後の中村さんのレポートには、こう書かれていました。
「前原さんは親切で、人との関わり方が丁寧だなと感じました。そこが仕事にもつながっているんだと思います。わらび粉というマイナーな仕事にも関わらず、とても楽しそうに説明してくれました」

”わらび粉職人という生き方”をアカデミー生に伝える、前原誘さん
中村さんのレポートには、こんなアイデアも書かれていました。
「牛とワラビの関係が気になって仕方なく、牛を飼っている人のところに行ったので聞いてみました。牛も好んでワラビを食べているわけではなく、他にどうしても食べるものがない時に仕方なく食べて、中毒を起こすそうです。しかし多量に摂取しなければ中毒にはならず、少量ならワクチンと同じように毒性の免疫をつける効果もあるようです。つまりある意味牛と蕨は相性がいいのでは?と考えています。牛を山で飼いつつ、傍で蕨を育て副業でわらび粉を作るのも成り立ちそうだなと思いました」
山のこと、農や畜産に興味がある中村さんは、卒業して徳島県神山町のまちづくり会社に就職しました。前原さんの実習での気づきは、中村さんのこれからの活動に、いつか繋がっていくのかもしれません。

ワラビを掘りあげる中村奏太さん
2日目は、神岡町について理解を深めます。
山之村を出発し、神岡町の町中に移動。ここで廃線を利用した「レールマウンテンバイク ガッタンゴー!」を体験。今年は初めて「まちなかコース」を体験しました。
地域資源を使ったアクティビティも楽しいですが、まちについてより理解を深めるためには、まちについてのお話を地元の方から直接うかがうのに限ります。前原さんにお願いし、飛騨市役所の岸懸貴則(きしかけ・たかのり)さんをご紹介いただきました。
神岡町の魅力や課題について、まち歩きをしながら岸懸さんの視点と想いで伝えていただきたいと無理をお願いしたところ、快く引き受けてくださいました。
まずは、神岡町の地形を理解できるポイントへ。なんと、午前中に体験した「ガッタンゴー!」の折り返し地点でした。

飛騨市役所の神懸さんから旧・神岡鉱山前駅でお話をうかがう
ここからスタートして、岸懸さんに神岡町の様々な魅力をご案内いただきます。短い時間でしたが、町中の色々な場所や景色をご紹介いただきました。
岸懸さんのお話が本当に魅力的で、町の成り立ちの歴史から文化、地質・地形、産業とそれに伴う自然の姿の変化、人の暮らしの移り変わりと町の形成など、観光だけでは決してわからない、町の息吹を感じながら神岡の町について学ぶことができました。
今回参加したアカデミー生は全員、神岡町を訪れるのは初めてです。初めて訪れたまちで、どんな魅力に惹かれたのでしょうか?後日、「アカデミーの同級生に、神岡町の特徴を1分で説明してください」という課題で、みなさんが作成したレポートをご紹介します。
同じ時間を過ごしていても、気付きや興味を持つところは、それぞれです。でも、3人ともしっかりとまちを体感してきたことが伝わってきます。内容は、ほぼ原文のままです。
◯クリエーター科2年・林業専攻 栗林綾香さん(くりりん)
神岡町はアカデミーから2時間ほどの距離にある町で、今は飛騨市神岡町です。
旧町役場は磯崎新氏の設計で、外から見ると不思議な曲線が目を引きます。

世界的に著名な建築家である故・磯崎新氏が設計したモダンな神岡振興事務所
そんな旧町役場周辺から町を見渡すと、川を境に谷のようになっていることに気が付きます。これは「河岸段丘」でできているためです。かつて、大規模な火山泥流が発生し、その後、高原川によって徐々に段丘面がつくられました。

高原川沿いに発達していった「河岸段丘のまち」
また、神岡町は鉱業によって発展した町です。一時期は全国からたくさんの人が集まり、川を挟んで両側に、ひしめき合うように家を建てました。

三井金属鉱業がつくった鉱山資料館には鉱山にまつわる様々な資料が展示される
これらの町の様子を見るにはガッタンゴーの「まちなかコース」を体験するのがお勧めです。歴史や文化の詰まった町を、廃線となった線路を走りながら、散策してみてください。

「ガッタンゴー!」からしか見られない町並みの風景
<ここまで、クリエーター科 栗林綾香さん>
◯エンジニア科2年・林産コース 中村奏太さん(そうた)
県外からアカデミーに入学した私は、岐阜県飛騨市神岡町を、今回の授業で初めて知りました!
神山町では廃線を活用しているアトラクションに乗り、街の景色を見ることができます。
元々鉱山開発で栄えた町だったため、今でもその名残が多くあり、とても面白いです。 例えば、鉱山で使われていたトロッコ列車が展示されていたり、神岡町でしか見れないような物がたくさんあります。
昔の飲み屋街の跡なども見にいくことができ、当時の建物がそのまま残っているものもあります。

花街として賑わっていたころの面影を残す「神和荘」。料亭の別館として使われていた
湧き水が多く出るようで、街のところどころに水屋があり、地域の人々の生活で大切にされていることがうかがえます。

人々の暮らしを支える船津大洞湧水群。まちの人が管理する「柳川水屋」

共同の水屋は水を利用する人たちの管理組合で管理する。現存するのは数か所
時代は移り変わり、現代では「ハイパーカミオカンデ」の開発のために、旧・神岡町役場(現・飛騨市役所神岡振興事務所)に東京大学のサテライトオフィスが開設されています。
この地域の地盤は一つの大きな岩のようなものになっているため、地下深くに大きな穴を掘っても崩れないんだそう。だからニュートリノの観察のための施設開発が、神岡町で行われているそうです。
同じ岐阜でも知らない場所がまだまだたくさんあるんだと感じました。

史跡・江馬氏館跡公園。国の史跡と名勝の二重指定は岐阜県内初
<ここまで、エンジニア科2年 中村奏太さん>
◯エンジニア科2年・林産コース 澤柳妃那さん(さわ)
神岡町は鉱山などのお陰で発展していきましたが、そのために工場地帯になって、一時期は工事で侵されて、自然の緑がほぼ消えていったそうです。そこからさまざまな工夫で、緑を取り戻す活動をしてきました。

鉱山開発に伴う硫酸ガスで、当時は山に木がなかったとのこと
町中では、昔の遊郭の名残のある場所があったり、廃線を使ったアトラクションなど、町の魅力を実際に体験することができます。

かつて遊郭だった旧・深山邸。活用について市民の意見を求めながら、町をつくった文化に触れられるようにしている

建物には凝ったつくりが随所に見られる
「ガッタンゴー」では、廃線で自転車を漕いでいる間に工場や家が密集する町の様子が一望できて、何も知らない観光客も町の様子が見られるようになっています。
他にも、鉱山で採れた鉱石など、採り方が削り方と共に分かるように解説されている展示場所もあります。

工法や鉱石などが展示された鉱山資料館
市役所(神山振興事務所)には大きな会議室があり、古いけど、近未来のような場所です。

神岡振興事務所の議会場は大理石づくりで未来的。普段は非公開だがロケなどで使用可能とのこと
「里山」とは遠そうで、でも近くもあるような。自然と人とが、利用しあってきた様な、そんな感じがする町でした。
<ここまで、エンジニア科2年 澤柳妃那さん>
以上、学生、三者三様の神山町の魅力レポートでした。それぞれの感受性や表現が、とても素晴らしいです。
学生の視点以外では、私は川沿いの遊歩道の自然や、川沿いに建つ独特な建物にも惹かれました。

紅葉が美しい藤波八丁遊歩道

川にせり出して家を建てるために、芸術的な景観となった町並み
戦後、最も栄えたときは37,000人の人がいたという神山町。全国から人が働きに来ていて、夜は明るく、山の上の方まで集落があったそうです。近代の急速な発展が、独特な町の景観を作り出しているのだということを知ることができました。

案内板が町の各所にあり、賑わっていた町の歴史を伝える
近代産業遺産にまるごと触れられる特別な町、神岡。様々な魅力を感じましたが、個人的にぐっときたのが史跡・江馬氏館跡公園の「会所」。室町時代にあったとされる建物を、できるだけ当時の材料や工法で復元されたそうです。そして、発掘された庭園跡から、当時の庭園の風景も復元しました。
「500年前、この地を治めた人が一番いいな、と思った景色を私たちも見ているのかな、と」
町の様々な魅力を案内いただいた、最後の場所での岸懸さんのこの言葉に、土地に流れる悠久の時と、この地を築いてきた人々の壮大なロマンを感じました。

復元された中世武家屋敷とその庭園。かつての武将も、夜はこの庭園を照らす月を愛でていたのかも
平成16年に2町2村が合併してできた飛騨市ですが、地域ごとにそれぞれの風土があります。今回、岸懸さんにお話を聞くことで、神岡のまちが醸し出す独特な雰囲気とその理由が、少しだけ分かったようにな気がします。ぜひまた訪れて、神岡の魅力をより深堀りしたいと思います。
前原さん、岸懸さん、本当にありがとうございました。
<森林環境教育専攻 小林謙一>