アカデミー教員インタビュー

「きこり」を子どものあこがれの職業にしたい!

新津 裕(林業専攻)

 

教員インタビュー新津先生

 

新津先生はアカデミーの教員になった卒業生第1号!人前で林業を「魅せられる」きこりを目指して、現場で経験を重ね、先生としてアカデミーに戻ってきました。新津先生の人生と、アカデミーへの想いを聞いてみました!

 

 

入りたくても入れなかった林業の世界

 

――森に興味を持ったきっかけはなんでしたか?

新津:出身は神奈川県の鎌倉で、海まで歩いて5分くらいの漁村で生まれ育ちました。森林に興味を持ったのは、高校生のとき。家の近くに山があったんですけど、その山の木がどんどん伐られはじめて、地肌がむき出しになって、宅地になっていったんです。毎日見ていた風景が日に日になくなっていったのが、すごいショックだった。目の前の自然を守るためになにかできないかなと思ったのがスタートでした。そこから環境問題を学ぼうと思って大学に進学しました。

 

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――大学ではどんなことを学んだんですか?

新津:大学では、環境保全や環境政策を学びました。大学3年生のときに、国際コミュニケーション研究室という、英語で海外の自然環境を学ぶところに入ったんです。その研究室の先生は、オーストラリアのタスマニア島とインドネシアのスマトラ島で起こっている、違法伐採に近い森林伐採について研究をしていたので、タスマニア島の大規模な皆伐の現場に連れて行ってもらいました。10人で手をつないでもまわりきれないくらい大きな木がバンバン伐られて、ナパーム弾を落とされて、焼き畑をしている様子は衝撃でした。現地のガイドに「ここの森を守りたいんだけど、僕にできることはない?」って聞いたら「ここで伐られた木は9割がお前の国に行っているんだぞ。それもチップになって」って言われたんです。父親が鎌倉彫の伝統工芸士で木に関わっていたし、日本人って木を大切にしているイメージがあったんだけど、結局自分たちの暮らしは、日本以外の木を伐って成り立っていて、他の国の自然を壊しているのに、日本は自然豊かな国ですよって言っている矛盾に気が付いたんです。そこから日本の森についてもっと知りたいって思うようになりました。

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新津:タスマニアに行って、森に関連した仕事をしたいと思って、そのとき「林業」という言葉を意識しだした。でも大学は、木を伐るのは環境に良くないって考えだったから、林業に対してはネガティブ寄りだったんです。それもあって、林業って全然わからなかった。あるとき、東京で林業の仕事セミナーがあったので行ってみたんです。とある森林組合のブースで「林業をやりたいんですが、どうしたらいいですか?」って聞いたら「きみは大学生かい?ちゃんとした大学を出るなら、ちゃんとした会社に入った方がいいよ」って言われました。

 

――え?林業セミナーなのに?

新津:そう(笑)。森で働きたいって言っているのに。でも確かに自分は林業のことを専門的に勉強していないし、当時は国産材がいちばん使われていない時代でした。国産材が使われない理由や、木材を使う側のことを理解したら、もっと森に貢献できるかなって思ったんです。そこから方向転換して、扉や床などの住宅の中の木材を扱う木質建材メーカーに就職しました。

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インタビューは、4期生の自力建設「風の円居」で行った

 

新津:建材メーカーでたまたま岐阜に配属されて、2年くらい営業をやりました。現場の大工さんの手伝いをしたり、木を使う側、買う側の人といろいろ話をしたりする中で、世代による意識の違いや木に対して求めていることなど、なるほどなって自分の中で腑に落とせたところがあったんです。林業をやりたい気持ちは変わらなかったから、仕事を辞めて地元に戻って、25歳で林業の世界に入りました。就職したのは神奈川県の小田原にある造林会社で、生育の悪い木を間引く間伐をしたり、枯れた枝や余分な枝を切り落とす枝打ちをしたり、森を育てることを専門にしているところでした。チェーンソーの使い方や木の伐り方はそこで覚えたんですけど、教えるのがあまり上手ではない現場の人たちだったから、教えてもらったというよりは、一緒にやりながら見よう見まねで覚えました。

 

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アカデミーの学生時代。アカデミーを会場に保育園の親子イベントを行った。

 

 

 

林業の現場からアカデミーへ

 

――アカデミーに入学したきっかけはなんですか?

新津:現場では、1日に100本近く枝打ちをしたり、数十本間伐をしたりしていたんです。作業に慣れてきて落ち着いて現場を見たときに、ふと10年後にこの木が健康に立っているのか疑問に思ったんです。でも先輩に聞いてみても、そこまで意識していないからわからない。木が弱っていたとしても対処は自分たちの仕事ではない。補助金が下りてきたものをこなすための作業だから、こういう木を育てようと言うよりは、何ヘクタールの何割伐りましたとか、作業的な要素がすごく強かった。だんだんと今やっていることと、森を守っているって意識がつながらなくなってきて、これはちゃんと学ぶ必要があるんじゃないかって思ったんです。大学の先生に相談したら、研究室の後輩が森林文化アカデミーってところで林業を学んでいるよって教えてくれたんです。それがきっかけで受験することにしました。

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アカデミーの学生時代。学祭で美濃市の伝統行事「花みこし」を担いで練り歩いた。

 

――アカデミーでは林業専攻に入ったんですか?

新津:それがね、当時の専攻は、林業、環境教育、ものづくり、木造建築、里山って5つあったんです。当時、里山については全然知識がなくてよくわからなかったけど、ものづくりは父親が伝統工芸士だったから多少知っているし、建築と林業は仕事をしていた。環境教育も大学時代にすこしサークル活動でやっていた。その中でいちばん自分の弱い部分が「人に伝えること」だと思ったんです。林業をやっていたときも、すごく想いはあるんだけど孤立していた。だから想いがある人たちをつないで、仲間ができるとうれしいなと思って、伝えることを学ぶために環境教育を専攻しました。

 

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アカデミーの学生時代。授業で野鳥の観察をしている。

 

――学生のときに印象に残っていることはありますか?

新津:基本的には、授業というよりは環境教育専攻の教員であるナバさんの活動に一緒に行ったり、人前でプログラムを実践したりすること多かったですね。学生ではあるんだけど、ナバさんの弟子のようなかんじでした。学外の出前授業に行ったり、研修に行ったりする機会はたくさんもらえたから、そこでつながったメンバーと今も一緒に仕事をしているんです。ナバさんともうひとりの先生から「教えるというよりは、僕たちにできることは人をつなぐこと。だから在学中にいろんな人とつなぐことはできるよ」と言われたんです。その言葉の通りつないでくれたし、つながるきっかけを作ってくれました。

 

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アカデミーの学生時代。クリエーター科、エンジニア科の垣根を超えて、一緒に活動をした。

 

 

――卒業後はどういうところに就職したんですか?

新津:卒業後に就職したところは、突然婿入りの話になったので2週間で辞めました。前職の造林会社に住み込みで働かせてくださいって言ったら、じゃあ三宅島に行ってくれって言われたんです。当時、三宅島はガス噴火があって、たくさんの木が枯れていました。その枯れた木の伐採と火山性ガスに強い広葉樹を5万本植栽するから、全部植えたら帰っておいでって言われました(笑)。アカデミーに行く前は、ただ木を伐るとか、枝打ちをするだけだったんですけど、環境教育を学んでから現場に行くと、見え方がまったく違ったんです。三宅島には2カ月近くいて、その間にセブン-イレブン記念財団が植樹の体験イベントをしたんです。おもしろそうだなと思って、現場の休みをもらってインストラクターとして参加しました。島のことや、植物や生き物のことを話しながら植樹をしたんですが、それがすごく楽しかった。作業よりも参加者同士のコミュニケーションを重視したことで、参加者からも「すごくおもしろかった」って言ってもらえて、いまだにその参加者ともつながっているんです。そういう関わり方は林業をやっているだけではできなかったから、すごく自信になりました。

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アカデミーの学生時代。東日本大震災から2週間後、支援物資を届けるために東北へ出発した。

 

新津:三宅島から戻ってきた後、アカデミー在学中に一度お世話になった、静岡県の「ふもとっぱら」で住み込みで働きはじめました。そこは林業事業体なんだけど、キャンプ場も経営していた。オフロードのセグウェイやマウンテンバイクのインストラクターをしたり、お客さんのテントを張ったり、バーベキューや焚き火の補助をしたり、草刈りをしたり、お風呂掃除もしていたし、会社の山や依頼された山の木の伐採や搬出もしていた。水場の増設も自らの手で行った。何でもできるもんだなって思いましたね。その後、奥さんの仕事の都合で、富士山の反対側の山梨県都留市に引っ越すことになって、ふもとっぱらを辞めました。都留市にある南都留森林組合で働きはじめて、組合員が所有する森林を整備したり、あとはイベント出展や林業体験の受入れをしたりしていました。それが3年間くらいだったかな。森を育てている造林会社、木を生産している林業会社、森林組合、いろんな形態の林業事業体で働けたことは、自分にとって大きな財産ですね。

 

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南都留森林組合で働いていたときの新津先生。

 

卒業生だからこそ、伝えられること

 

――アカデミーの先生になったきっかけはなんですか?

新津:森林組合で働いていたときに、アカデミーの森林環境教育専攻の先生がひとり退職されることになったんです。林業をしながら、森林インストラクターのような活動をしていた先生で「伝える」と「林業」の中間の役割を担っていたんです。それで、林業と環境教育の両方ができる人材を探していたみたいで、ナバさんから「今度、教員の公募があるんだけど受けてみない?」って声をかけてもらいました。採用試験を受けて、縁があって来ることになりました。森林環境教育専攻には3年間いたんですけど、林業専攻で獣害対策と林業の基礎的な技術を教えていた先生が退職されたタイミングで、それを引き継ぐために林業に異動になりました。

 

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アカデミーでの授業の様子。林業の道具について教えているところ。

 

 

――狩猟はいつからやっていたんですか?

新津:狩猟は、ふもとっぱらにいるときにはじめました。当時富士山のまわりはむちゃくちゃシカがいたんですよ。植えてから20年経って、これからようやく大きくなるぞっていうヒノキがシカにかじられて枯れていく姿を見て、このままだと林業が成り立たなくなるって思ったんです。それで狩猟免許を取って、ふもとっぱらに来ていた猟師さんにいろいろ教えてもらいました。やっているのは罠での狩猟。罠猟は、生き物との駆け引きなんです。生き物がどういうふうに動くのかをイメージしながら罠をかけるんですけど、罠があるって見透かされてひょいって避けられることもあります。でも罠にかかった瞬間、イメージと現実が一致するんです。それが自然を読み解く力にもなっていて、林業の食害防止というよりは、環境教育の視点で自然とのつながりがより深くなったように思います。命を獲るのはすごく苦しい。その子の最期の声や姿を自分が見ているわけだから、すごい責任も感じるんだけど、でもそれは肉を食べている以上どこかで誰かがやっていることなんですよね。そういうこともアカデミーで伝えたいです。

 

 
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アカデミーでの授業の様子。林業の道具について教えているところ。

 

――森を守りたい、仲間を作りたいという想いは、今がいちばんかなえられるところにいるような気がしますね。

新津:そうですね。そこはすごく恵まれていると思う。特にこれから現場で働く、エンジニア科の学生たちに関われているのは、やりたいことができているなって思います。ただ、卒業生を林業の現場に送り出しても、すごくやる気があるのに現場に出させてもらえない人がいるんです。特に女性だから現場はちょっと…って言われているのもよく聞くんです。だから次のステップとしては、やる気のある学生が本気でやりたい森づくりとか森の仕事に関われるような環境づくりをしていきたい。僕自身が「ちゃんとした大学に行っているなら、林業をやらない方がいいよ」って言われときと、林業の業界は変わっていない。だからこそ、教育の次のステップとして、受け入れ側の環境づくりをやっていきたいです。

 

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アカデミーの授業の様子。授業の中で山に罠を仕掛けて、学生と一緒に狩猟を行っている。

 

 

新津:最終的には林業を子どものあこがれの職業にしたいんですよ。昔の林業は閉鎖的で、情報発信をしてこなかったし、新しいことに切り替えてこなかった。だから林業って言うと、未だに斧で木を伐っているイメージを持っている人もいるんです。そういうのを払拭していきたいですね。技術を磨くのも大事なんだけど、人前でちゃんと説明ができる、林業を「魅せられる」きこりたちがこれから台頭していけば、子どものあこがれの職業にちょっとずつランクインしていくんじゃないかなって思っています。

 

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アカデミーの授業の様子。学外のキャンプ場にツリーハウスを作った。

 

――アカデミーの卒業生として、学生のときはこうしたほうがいいよってアドバイスはありますか?

新津:自分が学生だった頃は、フィールドに出てもうまくいかず悔しい思いもしたし、涙を流すこともあった。今思えばもっともっとチャレンジして色んな経験をしてもよかったと思う。お客さんの前でプログラムをしたり、プレゼンテーションをしたり、木を伐ったり、そういうチャンスがいっぱいある中で、悩んでひとつの正解を求めるよりは、チャレンジして失敗して、失敗から何かを得る経験ができるといいと思う。失敗する経験って、社会に出た後は本当にしにくい。だから2年間の失敗できるチャンスを学費として買ったと思えばいいんじゃないかな。失敗しても先生たちがなんとかフォローしてくれるしね(笑)。

 

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17期生の自力建設「里山獣肉学舎」の前で撮影。狩猟の授業ではここを使用している。

 

 

――将来、アカデミーに入学したい人や森に関わる仕事をしたい人に向けて、メッセージをお願いします!

新津:いろんなバックグラウンドのある人に来てもらいたいですね。いろんな分野の人が集まれば、新しい組み合わせができて、今までにない林業や、新しい森との関わり方、過ごし方につながっていくんじゃないかなと思います。あと、技術を身につけるのも大事なんだけど、自分の許容範囲を超えるものは人に任せればいいと思う。学生の頃に、先生が言っていた「人をつなぐことはできるよ」っていうのは、まさにそこにつながる。全部自分ができなくてもあの人ならできるって情報があるだけで、できることって広がりますよね。アカデミーのネットワークはとにかく幅が広い。他の専攻とのつながりがアカデミーのいちばんの魅力だから、そこは大事にしてほしいですね。

 

インタビュアー 酒井 浩美(森と木のクリエーター科 森林環境教育専攻)

                     湯本 仁亨(森と木のクリエーター科 森林環境教育専攻)

 

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