常に自分のやりたいことを選択する。
小原 勝彦(木造建築専攻)
開学当時から20年以上アカデミーで教えている小原先生。アカデミーにやってきたのは、一本の電話がきっかけでした。ゲームのプログラマーになりたかった小原先生が、どのように建築の道を選び、歩んできたのか。そしてアカデミーをどんな学校にしていきたいのか。小原先生の人生と、これからのことを聞いてみました。
「子どもを幸せにする仕事」
――どんな子ども時代でしたか?
小原:ひとことで言うと、ものすごくインドアな子どもでした。ゲームが大好きで、あるとき自分もゲームを作りたいと思って、プログラミングをはじめたんです。プログラミングをすると、自分が命令した通りにコンピュータ上で動いてくれるんですけど、それにものすごく感動しました。プログラミングは基本独学だったんですけど、友達と一緒にやっていたので、お互いに「こういうときはどうするの?」って教えあっていました。
――なんで建築をやろうと思ったんですか?
小原:もともとはゲームを作るプログラマーになりたいと思っていました。高校生のときに、友達がプログラミングのアルバイトをはじめたんです。友達から「社員の人は1週間家に帰っていないらしいよ」とか、過酷なプログラマーの世界を聞いて、それはしんどいかなって思ったんです。ゲームは、最初の構想から販売されるまで数年、長いと10年近くかかるんです。毎年数多くのゲームが世に出ますが、その中でも名作と呼ばれるようなすごくおもしろいゲームは数少ない。ただ、おもしろいゲームであっても、半年くらいすると売り上げが下がってくるんですよ。数年かけて作ったものが、ヒットしたとしても半年しか賞味期限がないこと、その裏でプログラマーの人たちが徹夜をしながら作っていることに、高校生の僕はすごくショックを受けました。もうすこし賞味期限の長いものに関わりたいなって思ったときに、バーチャルな世界じゃなくてリアルな世界がいいかな。じゃあ建築かなって思ったんです。なんでもよかったんですけど、建築なら建ててから少なくとも数十年は使われるはずだと思って、それもいいよなって思いました。
――その考え方だと、選択肢は他にもある気がするんですけど、その中から建築だった理由はなんですか?
小原:もともと「子どもたちを幸せにする仕事をやりたい」ってずっと思っていたんです。そう思ったきっかけははっきりとは覚えてないんですけど、だからおもちゃ屋さんでも、ケーキ屋さんでも、洋服屋さんでも、なんでもよかったんです。中学生、高校生のときは、ゲームを作って子どもたちを幸せにしたいって思っていました。今振り返ってみると、プログラミングが好きだったから、コツコツ積み重ねながら作り上げていくものがいいかなと思っていたし、あとは子どもたちを幸せにする、幸せでいられる「場」が大切かなって思ったのかな。安心安全な住宅を作って提供することは、すごく大事なことかなって思いました。
――建築の中でも、耐震や建物の安全性に関わる構造をやろうと思ったのはどういうきっかけですか?
小原:ひとことで言ってしまうと、建物のデザインの設計で挫折を感じたからですね。大学は工学部の建築学科に進学したんですけど、設計演習という、学生が考えたプランを、複数の先生が毎週代わる代わるチェックをしてくれる授業があったんです。その授業の中で、A先生のアドバイスをもとにブラッシュアップをして翌週持っていくと、B先生はまったく違うことを言ったんですよ。そのとき、いいものに対する尺度は、それぞれ違うのかなあってなんとなく感じてしまった。デザインの尺度ってすごく難しいんだなって思ったのがひとつ。もうひとつは、友達が提出した作品が、図面もそろっていない、プランもめちゃくちゃだったので、当時の僕はこれは赤点だなって思ったんです。でも4人の先生はその作品を大絶賛したんですよ。友達が設計したのは、東側に6メートルの高さの壁を作って、東側の日の光が入らない、日陰の家だったんです。僕はその6メートルの壁はありえないって思ったんですけど、先生たちは大絶賛していた。そのとき、ちょっと僕にはデザインのセンスがないなと思いました。それで建物のデザイン設計はあきらめた。その友達は、日本でも有数の建築設計事務所に就職したので、やっぱりデザイン力があったんだろうなって思います。
小原:自分の進路をどうしようかなって思っていたときに、大学の図書館で「構造計算のためのBASIC」というプログラミングの本を見つけたんです。今は仕事のツールとしてプログラミングを使うことはよくあるんですけど、当時はまだ建築とプログラミングがつながるとはまったく思っていませんでした。だから「プログラミングを使って構造設計をやっている人がいるんだ」って驚きました。あと、当時の僕は、本の著者はみんな死んだ人だと思っていたんです。国語の教科書に出てくる夏目漱石や芥川龍之介は亡くなっているし、死ぬときに本を書くのかなって本気で思っていたんですよ。でもこの本の著者の宮澤健二先生は、僕が通っていた大学の講師だったんです。「生きている人が本を書いているんだ!」って感動がものすごく大きかった。翌年の大学3年生のときに、その宮澤先生のゼミに入ろうと思って、どんな人なのかも全然知らないまま研究室に入りました。それが構造をはじめたきっかけです。
先生だったら、たくさんの建物に関われる
――先生はどういう経緯でアカデミーに来たんですか?
小原:アカデミーを立ち上げるときに、木造建築専攻は三澤文子先生という方が中心となって、カリキュラムを考えたり教員を探したりしていたんです。三澤先生が、木質構造を教えられる若い人を探していたときに、いろんな木質構造の先生に「どなたかいい人はいませんか?」と尋ねたそうなんです。そうしたら、みんながみんな「東京に小原がいるよ」って言ってくださったみたいで。僕は当時、大学院生だったんですけど、たまたまアカデミーの建物の構造設計をされた稲山先生のところでアルバイトをしていたんです。今でも覚えていますが、ゴールデンウィークもアルバイトをしていて、そこに三澤先生から電話がかかってきました。稲山先生と三澤先生はすごく仲が良かったので、多分僕が稲山先生のところでアルバイトをしていたのはご存じだったんだと思います。その電話で「今度岐阜に、森林に関する学校ができるんだけど、建築のコースを作るのに協力してもらえないですか?」って言われたんです。とりあえず履歴書を送ってと言われて、その場で略歴を書いて稲山先生のFAXを使って、ピーっと送りました。そこからですね。
小原:今でも、年間50~60万戸くらい新築の木造建築が建っているんですけど、自分が1年間でできる構造計算は100件はいかないくらい。40年間働いたら、2000件くらいの建物に関わることができるんです。それでも日本全国にある建物、これから建つ建物を含めると、関われる数としては少ないですよね。でも教育に携わることで、例えば10人学生さんが卒業すれば、10倍の件数の耐震性を高められることになるんです。教育って言うと先生がえらいみたいな印象があるかもしれないですけど、僕としては仲間を増やしている。ひとりの力ではできないけど、同じような考え方を持つ人がたくさん増えていけば、いろんなことができるようになるかもしれない。教育をすることで、自分が直接建物の設計に関わることはできなくなったんですけど、耐震性のある建物を設計できる仲間を増やすには有効な手段かなと思っています。
――それはアカデミーに来る前から考えていたんですか?
小原:そうですね。僕は、大学卒業後に大学院の修士課程を2年、博士課程を3年通っていて、卒業後は研究職につこうと考えていたんです。研究のなかで明らかになったことを、法律の中に組み込むことができたら、新築されるすべての木造建築のベースアップができるじゃないですか。実際に、僕の博士論文の内容の一部が、2000年の法改正のときに建築法に組み込まれたんですよ。それがあったので、研究職につけば日本の木造建築の性能向上に大きく関われると思ったんです。
――先生は木造にはこだわりはあるんですか?
小原:学生の頃はあんまりこだわっていなかったんですけど、宮澤先生の研究室で木造の建物の耐震性をやりはじめたときに僕も関わっていたんです。研究室で活動していると「木」というキーワードを持っている人がたくさんいた。アカデミーに来たらなおさらですよね。木そのものに、まだまだたくさんの課題がある。木から構造物を作る過程でも、廃棄や解体でも、転用したり移築したり古材として使ったりする場合でも課題は多いんですけど、そこがおもしろい。今は木造建築の安全性を高めるところにこだわっています。
「好きなこと」と「嫌いじゃないこと」をやってみる
――アカデミーのいいところはどんなところですか?
小原:僕が大学生のときは、1~2年の差はあるにしてもみんな同年代だし、前歴は高校生か予備校生。みんなが同じようなベースで同じようなところを目指している集団にいたんです。でもアカデミーの特にクリエーター科は、前歴が多様な人たちが来るじゃないですか。隣に座っている人が全然違う専門分野から来ていることもあるし、年齢層も全然違う。そういう人たちが、生き生きしながら自分のやりたいことを学んでいる。そこがアカデミーの好きなところですね。親子くらいの年齢の離れた人たちが一緒にのびのびと学んでいるのは、すごくおもしろいなと思っています。これが本来の学校のあるべき姿なのかなって思います。
――学生に期待していることはありますか?
小原:好きなことや、やりたいことをやってほしい。好きなことや、やりたいことであれば、モチベーションが高いので、いくらでも学ぶことができる。自分が得意なことは、そこからさらに広げたり深めたりすることもしやすいんじゃないかなと思うんですよね。だから、自分の得意分野をまずはひとつ作るといいんじゃないかな。僕自身、当時も今も、自分のやりたいことを常に選択するようにしています。
――自分がやりたいことや好きなことがわからないって学生も多いですよね。
小原:そうですね。やっぱりどこかでつまずくことはあるので、学生から「好きなことがわからないんですけど、どうしたらいいですか?」ってよく聞かれますね。「好きなものが見つけられない場合は、嫌いじゃないものをやってみたら?」と言っているんです。僕は嫌いじゃなければなんでもいいかなって思うんです。好きはあいまいなこともあるけど、嫌いは明確にわかるので、嫌いじゃないことをとりあえずやってみる。やってみて自分に合わなければ続けられないしね。でも嫌いなものを好きにはできないけど、嫌いの領域からちょっと普通の領域に近いところに引き寄せてあげると、生きやすくなるかなあって思うんですよね。好きなことはたくさんして、普通のこともできるようになったら、最後は嫌いなものをなくしていく。学生さんから「好きなことだけしてればいいんですよね」って誤解されることもあるんですけど、いやいやそうじゃない。それはまだプロローグに過ぎないって伝えたいです。
――小原先生の今後の野望はありますか?
小原:アカデミーに来る前から思っていたことですが、学生さんが実質無料で学ぶことができる教育機関を作りたいと思っているんです。アカデミーは学費を無料にはできないんですけど、いろいろな補助金や奨学金を利用することで、実質学費を無料にすることはできるかなって思っています。アカデミーでも経済的な理由で、学業を断念する人もいるんです。お金があれば学び続けることができたのであれば、そこをフォローできたらいいなあって思っています。日本でも給料をもらいながら学ぶことができる学校はあるし、海外だと無料で学校に通える仕組みが整っているところも多い。経済的なことを心配せずに、自分がやりたいことやスキルを身に付けることに専念できるような学校にしたいなって思っています。
小原:昨年、アカデミー内のmorinos(森林総合教育センター)で、久しぶりに親子向けの構造ワークショップを実施しました。以前は、夏休みの期間中、名古屋で子ども向けのワークショップをやっていたんですけど、コロナでできなくなったんですね。久しぶりにワークショップをやって、子どもたちに構造のことをちょっとでも知ってもらうのは、これはこれで大事かなって思いました。あとはアカデミーの学生さんを国際学会に連れて行きたいなと思っているんです。やっぱり世界の最先端の研究がそこに集まっているので、多分全部を理解することはできないと思うんですけど、そういうところに触れることがすごく大事かなって思っています。僕自身が宮澤先生に海外の国際学会に連れて行ってもらったし、そこでの経験が今でもすごく活きているんです。世界の最先端を見るような機会を作りたいと思っています。
――最後に、アカデミーに入学したい人や、森に関わる仕事を始めたい人に向けて、メッセージをお願いします!
小原:アカデミーを卒業した後にこんな仕事につきたいなとか、こんな大人になりたいなとか、こういうスキルを身に付けたいなとか、将来の方向性を明確にした上でアカデミーに入学すると、2年間のアカデミーでの生活がものすごく充実すると思います。とはいえアカデミーに入ってきて、いろんなものを見たり聞いたりしていると、そっちに興味がわくこともあるので、興味がわけば、自分の方向性や進路はどんどん変えてったらいいと思うんです。でも、軸は持っていた方がいいですね。アカデミーでこれを学ぼうってある意味覚悟を決めて入学すると、非常にいい2年間になると思います。
インタビュアー 森 日香留(森と木のクリエーター科 林業専攻)