東濃桧の里 実践とつながりの中で学ぶ「枝打ち優良材」
中津川市加子母、ここは江戸時代から尾張藩が森林管理をしてきたことでも有名ですが、岐阜県を代表する優良材「東濃桧」の生産地の一つでもあります。
そこで加子母優良材生産クラブ(粥川会長)のみなさまに指導いただきながら、枝打ち材の伐採、採材技術、そして製材の一連を学ばさせて頂きました。
全体は加子母優良材生産クラブの事務局をされている安江正秀さん、彼は森林文化アカデミーの前身である岐阜県林業短期大学校卒業の先輩です。
最初に森林所有者の田口光之助さんから、どのような経緯でヒノキを植林し、どのような管理をされたのか、特にこれまで3回枝打ちされたことなどについてお話をお聞きしました。
ここは枝下高が6m以上あり、先日、加子母優良材生産クラブの安江さんに伐採搬出してもらったそうですが、末口20cm、長さ3mの枝打ちヒノキ材がm3単価30,000円を割ったそうです。
伐採は学生がさせて頂きましたが、受け口を作る前、受け口をつくってから、追い口を切る前、採材する前に、優良材生産クラブの方々のチェックと説明を受けました。
写真では倒す方向の最終決定について、安江さんがアカデミー生たちに説明しています。
アカデミー生は安江さんの指示に従って、追い口を切り、クサビを打って伐倒完了しました。ヒノキであるため掛かり木を心配しましたが、安江さんの指導が良く、見事に倒れていきました。
伐採と玉切りが完了して安江さんが、アカデミー生にヒノキ伐採の注意点や工夫、どのように管理すべきなのかを説明して下さいました。
続いて、玉切った短材を事例に、枝打ち優良材を市場に出荷するときには、必ず木口面に枝打ち跡が見えるように採材することを説明してくれました。ここで出荷される木材はほとんどが柱材であり、四面無節材を製材するための商品なのです。またこの丸太を製材したときに出る端材(ノタ部分)も無節の造作材や加工材として取引されます。
昼食時には中津川市役所加子母振興事務所の所長、内木哲郎さんがお越し下さり、尾張藩の山守の話をして下さいました。内木さんは内木家20代目当主で江戸時代から明治まで尾張藩の山を管理されていた「山守」をご先祖とする方です。
当時、山の木がどのように管理され、どのような生活をしていたのか、様々なお話を頂きました。
午後からは自分たちが伐採したヒノキを加子母の田口製材で製材してもらい、製材品としての枝打ち材について学びました。
最初に田口製材の社長さんから、枝打ち材の単価や購入の難しさ、製材のテクニックについてお話をお聞きしました。写真の左3本は午前中に伐採して持ち込んだヒノキです。左側の少し太い丸太は、特徴的な欠点が出る枝打ち材で、本日のために社長さんが用意して下さったものです。
いよいよ製材です。曲がった丸太はどう見るのか? 昔は天然木が多かったから、曲がってアテが出る材が多かったが、最近は造林木ばかりなので曲がった丸太が少なくなったこともお話しされながら、製材してくださいました。
本日、田口光之助さんの山から伐採搬出してきた枝打ち優良材は、製材すると美しく、ボタン材もピンホールも、アテも発生しませんでした。
田口社長さんは、資材端材の利用についても加子母ならではのこと、つまり端材を利用する工場が近隣にあるから、端材がお金になることもお話頂きました。
最後に、田口製材社長さんが私たちのために用意してくださった丸太を製材すると、それは「ピンホール材」でした。これは製材面に、フルーツ楊子の先端がようやく刺さる程度の小さな穴があるのです。
この穴があっても強度的には全く問題ないのですが、この「ピンホール」が発生すると製材品の価格は1/5~1/10に低下します。
これは強度の枝打ちをした材に発生するもので、ハンノキキクイムシの仕業とされます。人間のエゴで、自然の営みというか、生態系を無視して強度の枝打ちをしても、樹木にとっては死活問題であり、それに昆虫類も敏感に反応するのです。
学校内にいては学べない製材のイロハ、製品のイロハ、加子母優良材生産クラブのみなさまのお陰で、現実的な学びをすることができました。
ありがとう御座いました。
以上報告、JIRIこと川尻秀樹でした。