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2018年04月28日(土)

ドイツ報告第三弾 『ナバさんが見たスイス・ドイツ。イギリスの森林環境教育』

 三夜連続の森林文化アカデミー教員による『ドイツ報告会』、最終日は萩原ナバ裕作准教授のスイス、ドイツ、イギリスの森林環境教育現場報告です。

 

 

 今回はドイツ、ロッテンブルク大学のフックス・オットマー教授とスイスのチューリッヒで落ち合ってからスイスの現場からスタートです。ヨーロッパには森林環境教育のネットワークが構築されており、スイスなどでは言語の関係で、ドイツ語、フランス語、イタリア語のテキストまで充実している。

 またイギリスには「フォレストスクール」という森林空間を活かしたコミュニケーション力をつける教育システムがある。

 

 スイスでは住宅街の一室にある「SILVIVA」という組織がある。都市部の住民に対して森林環境教育教材を開発している組織団体で、下の写真のようなカードを三か国語で作成していた。

 

 

 次に訪れたのはチューリッヒ郊外の市有林の「ビジターセンター」。

 ここではマインドフルネス(今現在において起こっている経験に注意を向ける心理的な過程であり、瞑想およびその他の訓練を通じて発達させる)も含めて、様々なアクティビティを提供している。

 こうした施設は従来から使用されてきた住宅などをそのまま改修して使用しており、ここに来る人々は繰り返しの体験を通して人と自分、自然と自分の立ち位置に気づくための誘いを体験させている。

 

 

 次は、ドイツの公的機関(岐阜県でいえば林政部に相当する組織)が運営する「持続可能センター」、ここはユネスコパークにもなっていました。

 ここでは林業だけではなく、生活全般にかかるものについて展示、販売、体験させており、販売品は蜂蜜などもある。建物内部は地場の地産地消を説明できるよう、地元の石や木材で出来ている。

 使用する道具の収納自体が展示になっている。

 

 

 例えば一人で切れるかも知れない木材も、わざわざ二人で切らせてみる。

 二人出来るということは、どのように効率的に切るのか。仲間を気遣って切るにはどうすべきか。力の加減はどうすべきか。二人で切る作業は、様々考えるため単なる作業ではなくなる。

 

 

 この持続可能センターでは様々なプログラムが提供されているが、シェアリング・ネイチャーの手法も多く導入されている。

 

 

 ドイツのロッテンブルク大学では、普段はチェンソーで伐採している学生に、わざわざ手ノコと手斧で伐採する授業も実施している。

 教壇にはフックス・オットマー教授とメイン講師のギヨークさんが立っています。手道具で伐採体験することで、「自分たちが子どもたちに何を、どのように伝えるのか」を考えさせる。

 例えば、この日も雨が降ってきたが、道具や人の避難について、ギヨークさんやフックス教授は何も指示することはなく、「そこにビニールシートがある」と示唆するくらい。

 それをどのように使って、どこを結び、どれくらいの高さにタープ状に張るのかは、現場で学生たちが自主的に協力して作成させる。つまり「与える」のでなく、「考えさせる」教育なのです。

 

 

 さて、本番の伐採です。これはギヨークさんがチェコで購入してきた伐採用の「二人挽き鋸」。これで受け口の下切りをして、斧で受け口をつくる。この過程にはいるまでにも、チョークや定規をつかって伐倒方向、伐倒距離などもしっかり検討する。その中で、何を注意すべきか、何を指導すべきかを学生自身が考える。

 

 

 最後に、イギリスの「フォレストスクール」。こうした活動は数多くの任意団体が実施しており、5日間の体験とその後の指導を含めて日本円で15万円くらいします。こうした講座に、小学校や中学校の現役教員が参加しています。

 フィールドでは本日使用する道具の「ツールトーク」もおもしろおかしくボディランゲージも含めて実施してくれます。

 

 

 講習の半ばでは、今まで実施してきたアクテビティを「蒔絵風に大きな紙に全員で書き込む」ことによる振り返りもしました。

 

 フォレストスクールには、こうした指導者だけでなく、地元などの幼稚園の子どもたちも来ます。子どもたちは8回連続で参加するそうで、ここでも繰り返し体験のが重視されています。

 指導者クラスの講習は5日間を終えるとポートフォリオなどによる自習が始まり、定期的に調査レポートを出したりして、1年後に四日間の集中テストを受けて資格取得するそうです。

 

  さて、今回のナバさんの森林環境教育現場報告、これが近い将来開設する「森林総合教育センター」に結びつくかと想像するとワクワクします。みなさん期待していてください。

 

 以上報告、JIRIこと川尻秀樹でした。