その古民家の良さを伝える。「旧松久邸悉皆調査」完了しました
森林文化アカデミーのある美濃市には、重要伝統的建造物保存地区「うだつの上がる町並み」があります。
江戸時代に和紙で財を成した美濃の町は、文化財級の建物が多くの残されていますが、その中でも「数寄屋」として際立つ豪邸が「旧松久邸」です。
「旧松久邸」は、これから改修して「和紙ショップ+ホテル」として生まれ変わります。元々の建物が文化財級ですから、さぞかし風情ある空間になるでしょう。美濃の新たな名所です。楽しみですね!
ですが、今回はわたしが依頼されたこと設計ではなく「改修工事前にきちんと調査して!」というものでした。
「そんな悠長なことを言ってないで、早く工事してOPENしてヨ!」と思うかもしれませんが、これには訳があります。
現在日本では、古民家を再生し、観光や移住者向けに宿泊施設やレストランに利活用する流れが、急ピッチで進んでいます。推進の交付金が設置されたこともあり、地域の古民家再生は、地方創生の大きな話題です。
「朽ちていくだけだった古民家が美しく生まれ変わって、都会から若い移住者がくる!」
「ボロボロだった蔵が再生されて、街で一番おしゃれなレストランになった!」
「空き家を行政代執行で撤去するよりも、利活用に税金を投入した方が低コストで、人口も増えた!」
と良いことづくめのように思えますが、あまり急いで工事に入るとよくないことが起きます。
「その建物の良さ」が失われてしまうケースがあるのです。
運用を急ぐあまり、古民家をよく調べずに工事に着手してしまったことで、思ったより費用がかかり、出来上がった建物には新建材の天井や壁が貼られ、アルミサッシが入り、梁にはボルトが見えている……。清潔にはなったけど、なんとなく古民家らしさがない……。というとなんとなくイメージできるでしょうか。
「”良さ”なんて、そんな抽象的なことを言われても……」と思うかもしれませんが、「性能面」でも同じことが言えます。「間取りを変えて広くしたら、梁に割裂が入って二階の床が凹んできた!」「改修したら結露してカビ臭くなった!」よく聞く話です。
そうならないように事前に調査診断を行い「旧松久邸」の良さを活かした、永く美濃の名所になるような改修にしよう!というわけです。
かくして「美濃市歴史文化基本構想」策定に伴う建造物調査として「旧松久邸悉皆調査」が行われました。
少し「旧松久邸」について説明します。
昭和初期に竣工した「旧松久邸」は、茶道の心得のある家主が、茶席やその稽古のために「庭」からつくりはじめ、建物の完成までに5年の歳月を費やしたという、贅を尽くした古民家です。
庭を囲むように配置された主屋には「茶室」と「水屋」の他に、「客用玄関」や、広い「書院」があります。
茶の稽古を行なった「けいこば」は三つ続きの部屋で、稽古用の水屋まで設えています。茶会に招かれた客が茶室に入るまで待つための「寄付待合」「腰掛待合」もあり、家と庭に茶道の動線があります。
庭は大小4つあり、あらゆる部屋から眺めることができます。風情ある数寄屋建築です。
また松久氏は和紙の原料である「楮(コウゾ)」の大問屋だったため、楮を保管する巨大な蔵や、金庫蔵まで、大小4つの蔵があります。
うち3つは部材の劣化もほとんどなく健全で、閉じられていた金庫内に至っては、まだ新築時の木の香りが残っていました。
調査は、森林文化アカデミーで2006年に生まれた調査診断システム「木造建築病理学」に法って行われ、特に「劣化」と現況寸法、庭の石と樹木の位置を確認しました。
これだけ大きな規模の建物を私と学生さんだけでは調査できないため、アカデミーの卒業生であり美濃で古民家リノベーションを行なっている、中島昭之さんに協力をお願いしました。中島さんは「一般社団法人住宅医協会」の理事でもあり、古民家改修・調査のプロです。
主屋と蔵4つを合わせて1230.83㎡(372.32坪)の広さの建物を、2017年11月から2018年3月まで、幾度となく通って調査しました。
建物の骨組を図面化し、高さを測って断面を描き、各部材の劣化状況をまとめ報告書にしました。特に「劣化状況」の項目は200ページにものぼり、これが完成したのは根気ある中島さんのおかげです。
構造や劣化状況など、性能面についての現況を調査できました。これで、かなり正確な見積もりと、構造に合致した設計が可能なはずです。
でも一つ問題が残っています。
「その古民家固有の“良さ”を活かした改修」のためには、一体どんな報告書にすればよいのでしょう。
今回の依頼は、設計ではなく調査です。建物の「謂れ」や「肩書き」を文にして書くことで建物の文化的価値を訴える以外に、「旧松久邸」ならではの空間を伝えることができないでしょうか。
考えた末、中島さんからの提案もあり「1:30実測展開野帳」を巻末資料に添付することにしました。
主要な図面はCADにしましたが、「実測展開野帳」は各室の東西南北を写し取った、手描きの図面です。綺麗な収まりや、特徴的な部分は原寸に拡大したり、赤で高さ寸法も入れています。森林文化アカデミーの「古民家再生」の授業と、有志の協力で、A2サイズの方眼紙に22枚の「実測野帳」が完成し、綴じ込むことができました。
アナログですが、手描きの図面には描いた人間の感動や好奇心などの情報が、確かに含まれてます。興味のあるところや、驚いた部分は、強く、細かく描き込んであるし、わからないところはなんとなく薄くなっていたり。描いた人が一生懸命描いた部分には、目がいきます。見る人が感じれば、CADの均一な線には含まれない、意外で多くの情報を読み取ることができるのです。22枚の野帳から、「旧松久邸」のおもしろさが伝わるといいのですが。
今回の調査はたくさんの人たちの協力で成し遂げることができました。この場を借りて関係者の方々に改めて御礼申し上げます。
この調査報告によって、「旧松久邸」がその美しさを活かした改修になることを願っています。
(以前のブログ記事はこちらです。)