「木工事例調査」in 静岡・山梨 〜③吉野崇裕さん
川口湖畔、富士の懐で家具が作られる
河口湖のほとり、富士山が悠然とかまえた風景がなんともすばらしい吉野崇裕さんの工房とショールーム。こんなところで毎日仕事ができたらどんなに幸せなことだろうと、訪問したアカデミーの学生はみな、そう思ったことでしょう。まもなく吉野さんが工房に来られ、中を案内してくださいました。
家具作りは道具作りから
そこは、一見、他の工房と比べてもとくに変わったところは何もありませんでした。しかし、吉野さんの一つ一つの木工機械や道具についての説明を聴くと、これはただものではないと感じ始めます。年代ものの帯のこ盤、最近のものと違ってフレームが鉄の鋳物でできています。吉野さんが作るものには分厚い板を上下ずれずにまっすぐ挽く必要があるといいます。そのとき、この帯のこは刃に強いテンションをかけることができるので、分厚い板をきれいに引くにはこの帯のこは必要不可欠だそうです。
また、昇降盤にも変わった工夫がされていました。のこ刃が改造されており、チップソーのあさりのついた先端部分は少し角をとるように削ってありました。その理由はこののこ刃は材料を手前から奥に送り出して切るためにあるのではなく、右から左、左から右に材料を移動させてグラインダーのように木を削るために考案されたものだということです。これらの機械の改造や改良はすべて吉野さんの作品をつくる上で必要不可欠なものであり、木をかたちづくるために考え出された必要かつ不可欠な改造・改良であることが理解できてきます。
工房の見学が進んでいくうちにさらに驚くべき道具を見せてもらいました。それは、さまざまな面を仕上げるための多くの「小がんな」です。反りがんなは台の木端にR350とかR600といったように文字と数字が記されていました。そのかんなで半径350mm、半径600mmの曲面にぴったり合うようにつくられているとのことです。ひとつの椅子を作るために20から30種類のRの違ったかんなが必要だという説明を聞いて、「ていねいな仕事をするためにはそれだけの道具が必要なんだ」ということを痛感させらました。吉野さんは、「手工具が木工機械よりすぐれているとか、木工機械があれば手工具は必要ないということではない」と言います。機械、工具は作ろうとするものにあわせて作り手がつくっていくものであるという考えを持っておられることがうかがえました。
技術を引き継ぐ人を育てる
吉野さんの工房には若い男性のスタッフと女性の研修生がいらっしゃいました。男性のスタッフは吉野さんの工房ではじめ研修生として修業されたあとスタッフとなったということです。研修生の女性は高校卒業後研修生となり2年が経過していると言います。吉野さんの工房で注目すべきことは人を育てるシステムをきっちり維持していることです。特に最初の研修期間には、手工具でものをつくることをきっちり学んでもらうようにしているそうです。工房へ来て2年目になる女性の研修生は、すでに多くの種類のかんな台を自作し、日本伝統工芸展にも入選する作品をつくるまでになっているとのことでした。自分が作ろうとするものにあわせて道具もつくる。こういったもの作りにとっていちばん大事なところを若い人たちに伝えている吉野さんの姿勢には本当に頭が下がる思いでした。
必要が生み出したデザイン「禅」
現在吉野さんが作っている木工製品の中で代表的なものとしては、椅子の「禅」がある。この「禅」をつくるきっかけになったのが、吉野さんの家族が難病を患ったことです。薬の副作用で、一人で座ることさえもままならなくなった家族に自分ができることを考え始め、西洋医学ではなく、さまざまな病気の治療法を研究した時期があったといいます。その中で、座禅にめぐり合い、同じ姿勢で長時間体に負担をかけずに姿勢を保てる座禅について研究をされました。その成果がこの「禅」には反映されています。座ることで座禅と同じ姿勢を維持することができる椅子が多くの時間をかけて開発されました。本当によいデザインとは見かけのかっこよさとは無縁である。使い続けて、さらにそれが壊れても修繕して使いけたいと思えるようなものだと思います。それを実現するためには、道具としてすぐれた機能を備えたものでなければならない。吉野さんの「禅」は人々にとって長期間にわたり価値を失わないデザインとなっているように感じました。
家具の先に森が見える
工房見学の最後に、今までの吉野さんの作品を展示している部屋を案内していただきました。ここに展示されていた家具は、木工製品として販売されるために製作されたものというよりは「作品」でした。その中のひとつの椅子は材木屋さんが大事に取っておいたものが芯の部分から傷み始め、中が空洞になったものをいただいてきた材料でつくられていました。立木のかたちをそのまま使いながら、椅子として座ることがおろそかにされていないのはさすがの一言です。また、和室に展示されていた座卓は立木のときの形が残された天板の表面が刃物で規則的に彫られており、木と刃物によって作り出される形のよさが印象的でした。
この展示室のどの作品を取り上げてみても、家具として姿を変える前の木のかたちが見えてくるようでした。作る側がはじめに決めた形に合わせ、木を思い描いたとおりに加工していくといった手法ではなく、吉野さんがそこにある木と対話しながら作り上げていった作品たちであることが伝わってきます。吉野さんの作品からは、椅子や座卓となった家具の先に使われている木が育った森が見えてきます。
国際木の文化研修センター設立構想
吉野さんは木工家として40年ものキャリアをお持ちですが、まだまだやりたいことは尽きません。現在も椅子の製作や研修生の育成に力を注ぎながらも、こんなヴィジョンを持ってさらなる活動を展開されています。
・木に関わる作り手が、より良いもの作りを目指す。
・貴重な歴史的椅子のコレクションを維持し、そこからデザインの意味を伝え広める。
・林業家、財産区との連携により、地域林の整備、健全利用する。
・本物の木工体験を通し、多くの人に木のすばらしさをつたえる。
・森の民として、日本古来からの森作り、森の知恵、木の文化を知り、その活用を実践、体験する。
吉野さんは自邸周辺の森を少しずつ整備してこられました。4,000坪近くもの敷地に、木工家はもちろん木工や森を知らない人たちも来れるような、“国際木の文化研修センター”を作ろうと考えておられます。それは木工房やチェアーライブラリー、広葉樹の森、キャンプエリアなど、木工や森に触れられる施設が盛りだくさんな構想です。
ここでは、一般の方向けにグリーウッドワークなどの木工体験を、時には森の中でキャンプをしながら数日間のプログラムとして行ったり、国内や海外からの木工家が集まり研修が出来る拠点となることも想定されています。
施設の一つのチェアーライブラリーとは、島崎信 氏(武蔵野美術大学名誉教授)が蒐集されていた名作椅子を多数展示した空間。吉野さんは名作椅子を維持し公開することで、それをプロはもちろん一般の方々にも知ってもらい未来へ繋げていきたいと考えています。それはただコレクトするわけではなく、一般の方にも理解して目を肥やしてもらうことで、工業品とは違う作家の仕事に対する理解が深まり、またそれが作家のレベル向上につながるだろうという、木工界の発展を目指す吉野さんの願いが込められています。DIYが根付いているアメリカでは、半数以上の大人がなにかしらの木工の経験があり、日常的な風景としてあるそうです。日本がそんな木工の裾野が広い環境になるように、私たち学生も貢献していかなければなりませんね。
地域林の整備、森づくり
今回の訪問で吉野さんの口からたびたび聞かれたお話があります。ご自身が木工を始められた40年前には、直径1mものカエデやナラなどは当たり前のようにあったが、年々見る数が減っていき、今では50㎝で大きいほうだと。それがなんて悲しくて寂しいことかと、ずっと危機感を持っておられました。
『これまで当たり前のように使ってきた木材たちへの感謝の気持ちと恩返しを、今見せるときなんじゃないか』
そんな思いから森の整備を始められたそうです。周辺はアカマツが密集していて広葉樹が育つ気配はなかったそうですが、整備したことでとても明るくなっています。この地域に適したカエデやブナなどの広葉樹を植林して、出来る範囲で森に恩返ししていこうとされています。
陽射しが入りとても明るい林内。奥の敷地外のエリアとは大違いです。中央は所有されている製材機。
キャリアも充分お持ちの吉野さんですがまだまだバイタリティの塊で、「今すぐ動かないと時間が足りない」と笑いながら話されていました。どこからそんなパワーが出てくるのだろうと終始驚かされましたが、その根底にあるものは、座りやすさただ一つにフォーカスした椅子づくりでのユーザーへの思い、もっと裾野を広げたいという木の文化研修センターでの木工への思い、地域林の整備での木への感謝の思いという、どれも真摯な思いばかりでした。それは長年木工に携わってこられた吉野さんだからこそ、たどり着いた境地かもしれません。しかしこれから木工の世界に飛び込もうとしている私たち学生にとって、このタイミングでこの光景を見たことは、これからの道しるべとなったことは間違いありません。中にはこれまでの選択やこれからの進路について、再び悩みだした学生もいましたが、今回の訪問は本当に刺激を受け考えさせられたものとなりました。
工房 木夢・吉野崇裕さん、長時間にわたり対応していただき本当にありがとうございました。
報告:クリエーター科1年 宮崎晋・山路陽平