川中には立てど人中には立たれず
木造建築専攻講師の石原です。
「地域材活用セミナーin豊田市博物館」に参加した帰りに、豊田市内にある「百々(どうど)貯木場跡」を見学してきました。
石積の構造物が、モヘンジョダロを想起させます(行ったことはありませんが・・・あ、あれは石じゃなくて煉瓦積みか・・・)。
かつて、矢作川上流で伐採した丸太は、所有者の刻印をした後に、矢作川に流して運搬していたました。
貯木場の竣工以前にも、中流域に簡易的な土場があったそうですが、洪水時に丸太が流失してしまったり、所有者をめぐる混乱もあったそうです。
こうした事態を踏まえて、木材商の今井善六氏が、自身の買い付けた丸太を効率的に管理するために大正7(1918)年に竣工させたのが「百々貯木場」です。
ここで上流域から運ばれてきた丸太をストック(水中貯木)したり、下流域に運搬するために筏に組みなおしていたりしたそうです。
なお、豊田市博物館には往時を再現したジオラマが展示してあります。
貯木場の脇には、運材用のスロープと製材所跡があります。一部の丸太はこの場所で製材されていたようです。
製材所跡はかなりコンパクトな印象です。
どんな寸法(用途)の製材を生産していたのか気になるところです。
木材の流通は「川上(林業=丸太)~川中(林産業=製材)~川下(建築業)」といった具合に、よく川の流れに例えられます。
昭和初期は鉄道沿いや港湾に製材所が設けられることが多かったのですが、矢作川の場合には文字通り「川中」に製材所があったわけです。
この「百々貯木場」ですが、急速に河川による丸太の運搬が廃れたことに加えて、
昭和4(1929)年の越戸ダムの完成に伴い矢作川の水位が低下したため、使用されなく(できなく)なってしまいました。
実働わずか10年程度の施設だったわけです。
以降、平成時代に入って再整備されるまでは土砂に埋もれた状態だったそうです。
さて、ちょっと話は脱線するのですが、インターネットにて「川中 ことわざ」と検索したところ、
「川中には立てど人中には立たれず」という言葉が出てきました(もっとも、ここでの「川中」とは、河“川”の幅に対する“中”央といった意味合いのようですが・・・)。
これは、「川の中の流れに立つことはできても、世間に押し流されずに生きていくのは難しい」といった意味合いだそうです。
前述のように、「川中」のニュアンスが異なるのでちょっと強引なのですが、
「百々貯木場跡」≒「川中」に立って、(短期間でお役御免となった)苔生す石積みの構造物を見ていると、なかなかグッとくる言葉に思えます。
私の教育・研究の対象は、木材流通の「川中」を担う、製材・乾燥、あるいは木質材料等への加工です。
私が社会に出てからの短期間に、木材業界でもウッドショックを筆頭にいろいろな変化(事件)がありました。それに応じて、業界の「川中」への要求も変化してきたように思います。
この言葉にある通り、「人中(すなわち世間、時流)」に押し流されずに生きていくのは難しいのかもしれませんが、
せめて「川中」には確たる知見を持ってしっかりと立てる人間になりたいと思った所存です。
講師 石原 亘